2014年5月14日水曜日

入院生活6日目 (妊娠25週+1 切迫早産)

久し振りに夜は涼しいを通り越して少し寒い位だった。窓を少しだけ閉じて初めて毛布を掛けて眠る。

体調も良く、変わらぬ朝を迎えたが、やはり昨日からの下痢が続いて入る様で、お腹が痛い。。。CTGでも2度程子宮収縮が確認されるが、きっとこれは腹痛と関係している様な気がする。早朝のトイレ時に、ほんの微量の血液が確認され少し焦ったものの、多分大丈夫でしょうとの医師の言葉。
今日はいつもの検査に加え、子宮底の測定と体重測定があった。体重は自己申告。

医師の回診では、「リング」なるものの処方について、話があった。早産治療の一環として扱われているらしく、シリコン上のリングを挿入するという手があるらしい。但し、通常この処置は子宮頸管が短い妊婦に行われるもので、既に子宮口が開いている場合には効果が無い。しかし、最近私と似たような状況の妊婦にリングを装着したところ、意外に好ましい経過となっている事から、検討してみたいとの事だった。医師自身もその是否については悩んでいるらしく、明日のChefarzt(院長?)回診の際に意見を聞いてみたい、との事だった。初めて聞いた話で、私にはコメントのしようがなかったが、リスクは何かを問うと、これが刺激になって破水させてしまったりという事もある、との事。

その後インターネットで調べたが、日本語サイトではなかなかヒットしない。見つかったのは、2012年のスペインの病院での症例について。

そんなこんなしているうちに、午後。夫が一人で訪問。仕事の道具を持って来てくれた。2時頃だろうか、トイレに立った時に気が付いた出血。朝よりも量が増えている。気になり看護師に見せたものの、大丈夫、との一言。安心するも、何だかお腹が痛い。

夫の帰宅後、水曜日のプログラム、お裁縫の担当者が来る。 赤ちゃん一人につき一個との事で、今週のプロジェクトを決める。既に第一子の時に作った懐かしい作品が顔を見せる。今回は、少し実用的に、と、さくらんぽの種のクッションを選ぶ。簡単そうなので、すぐできてしまいそう。

その後シャワーを浴びるが、腹痛がひどくなっている。暫く横たわるも、余りおさまわず。夕方5時頃にはかなりの痛みを覚える。トイレに立つと、益々量が増えたおりものと血液が。看護師を呼び、確認されると、お腹を安静にさせる薬を飲み、食事をした後CTGをする事になった。CTGでは陣痛は確認されなかったが、お腹は相変わらず痛い。赤ちゃんがとても元気に動くので、そのせいかもしれない、との事。その後のトイレでも続く出血。大丈夫だろうか。

その後同僚が立ち寄ってくれて、日本語の本を1冊置いて行ってくれた。

腹痛と出血が収まらず、今夜は血栓防止の注射は無し。状態が変化したらすぐ連絡するように、との言葉と、もしかすると赤ちゃんが少し落ち着くから、とラベンダーのアロマを担当看護師が持って来てくれた。夜に少し痛みは落ち着くものの、やっぱり痛い。。。まだまだ生まれちゃだめなんだよ。頑張れ。

昼食

果物のカレー
非常に非常に不思議な味。何故カレーにバナナやリンゴを入れるのだ。。。という衝撃的なカレー。
デザートはチョコレートナッツアイス。やたら甘い。。
夕食

クワーク付のボリュームたっぷりサラダ 。

デザートはラズベリームース。

2014年5月13日火曜日

入院生活5日目 (妊娠25週+0 切迫早産)

今日から25週に突入!
ここも一つの大きなマイルストーンである。というのも、25週以上で生まれた場合、ここの大学病院は基本的に蘇生の為にあらゆる手段を尽くす方針だからだ。勿論、それ以外にも胎児は1日1日、大事な成長を続けている。

朝は昨晩の指示通り、お茶が運ばれてくる。どんなに不味いかと思ったが、全く問題無く飲めるではないか。普通のハーブティーの味。
朝のCTGは陣痛モニターのみで、胎児心拍の測定は後ほど助産師が小型機械を持ってやって来た。今日は看護師の他に助産師が2人程貌を出した。 午後のCTGはかれこれ1時間もかかったが、問題無し。太腿の付け根のお尻側が痛いのは、ずっと横になっているせいだろうか。首の痛みと共に、ちょっと辛くなってきた。まだ1週間弱なのに。

体調は良かったが、困った事に、お茶が効いたのか単なる時間が来たのか、お通じが良いを通り越してお腹を壊す。。。お蔭でお腹が痛く、張りなのか腹痛なのか、、、微妙に痛い。

午後、夫と息子が登場。おもちゃを沢山持ってきた息子は、ひたすらドイツ語でパパと遊び続ける。。昼寝が終わって病院に駆けつけるこの時間は、いつも午後のCTGが行われるので、私はこの日は1時間程身動きが取れない状態で、息子と遊ぶ事が難しい。ほんの1週間弱にして、息子の日本語はかなり弱体化しているのが顕著にうかがえる。この先2か月、3か月、、、不安になり、この日は何だかとても精神的に弱くなってしまった。
夕飯時に帰ってしまった彼らだが、夜にSkypeをしてきてくれて、一緒に夕食タイムを過ごす事が出来た。少し安らいだ一時だった。

そういえば、今日はドイツ語教室がある日の筈だったが、結局先生は現れず。。。

昼食

野菜と穀物のグラタン?

苺ムースのデザート付


夕食

パプリカのご飯詰め、クワーク付

デザートはパイナップル

2014年5月12日月曜日

入院生活4日目 (妊娠24週+6 切迫早産)

今日も陣痛も無く落ち着いてる。
前日担当の看護師より、「明日はシャワーとトイレの許可がでそうです。」と聞いていたので、ワクワクして迎えた朝。 いつもの様に検温・血圧測定・薬の配布等が行われた後、CTG。担当看護師から、医師の回診を経て、カテーテルは外れないかもしれないが、シャワーとトイレが許可されるかも、と告げられる。

月曜日はちょっと偉い医者(Oberarzt)の回診日。他に医師2名と共に回診。まずは48時間、頑張った事を祝福され、これから一日一日が大切である事を念押しされる。実際に質問は?と問われても特に無い私、Oberarztに聞かなくても良かったのだが、尿カテーテルが外れるか、なんていう質問をしてしまった。 一瞬面食らった様子の医師だが、担当医に確認、OKとの回答が得られた。

医師の退室後、早速看護師がやって来て、カテーテルを外す事に。入れた時に相当痛かったので、少し恐れていたが、外すのはとても簡単作業。痛みも無し。 シャワーの許可があるが、どうするか問われたので、即シャワーを希望。点滴は外せないので、腕をビニールで覆い、シャワー室へ。久し振りに起き上ったので、暫くフラフラしてしまう。
久し振りのシャワーは本当に気持ちが良かった。当たり前の事が当たり前でなくなった時に、改めてそのありがたみがわかるというものだ。
服装もやっと自分の部屋着に着替える事が出来た。最も点滴のせいで、衣類の着脱は看護師の手助けが必要なのだが。

シャワーとトイレに立つ事を許可されたものの、それ以外は変わらず、ベッドに横たわり絶対安静。それでも、トイレに自分で行ける事の精神的自由度はかなり異なるものだ。今日は1日気分が良い。

午後の早い時間に夫と息子が登場した。お昼寝前の息子は眠そうで、一緒にベッドに横になってきた。本を3冊読んであげると、おやすみなさい、と寝息をたてた。1時間ほどそうして寝かせたが、息子も久しぶりのママとの一緒の時間を喜んでくれただろうか。

結局今日もお通じが無い、という事で、翌朝に便通に効くお茶を飲むよう言われる。とにかくまずいらしい。空腹で飲むように、との指示を受け、この日のプログラム終了。

昼食
ハンバーグ定食ご飯付
デザートのパンナコッタ?が美味しい。




夕食
ゲシュネッツエルテス、パスタ添え
ビーツのサラダ
デザートは苺

2014年5月11日日曜日

入院生活3日目 (妊娠24週+5 切迫早産)

前日の寝不足のせいか、ぐっすり眠れ迎えた日曜日。世間では母の日。

陣痛も無く胎児も元気、という事で今日も静かな1日。ステロイド剤の副作用が完全に切れていない様で、相変わらず暑い。。。今日も冷却剤がお友達。
一点だけ、入院以来お通じが無いとの事で、マグネシウムの増量を指示される。更に亜麻の実を朝食に混ぜて食べる様にも指示が出た。下剤も処方される。

因みに、、、トイレも食事も寝たままという事は、便意をもようしてもベッドの上で、という事である。看護師達も世話には慣れているのだろうが、その事実がきっと私を更に便秘にしている様な気がする。。。何せ旅行等誰かとトイレをシェアする状況下で必ず便秘の悪化する私。無理もなかろう、と個人的には納得。

午後に夫と息子の訪問。夫は花束を、息子は手に何かを持って参上。とても嬉しそうに、ママ~!!と持って来てくれたのは、保育園で作った母の日のプレゼント。手形のクッキーだった。パパと一緒に「母の日おめでとう!」とドイツ語で。そうだよね、お母さんありがとう、はわからないよね。
ケーキも買ってきてくれて、2個を3人で分けて食べる。クッキーも食べて欲しいと言っていたが、これは暫く飾らせてもらおう。「早く食べないと腐っちゃうよ」だそうだけど。。。
日本語の絵本を持って来たので、3冊読み聞かせをする事が出来た。この先数か月で、息子は日本語を忘れてしまわないだろうか、、、と少し不安である。

昨日の教訓から、今日は食べ物を沢山準備してきたらしく、部屋でひたすら食べ続ける夫と息子。でも夕食の時間には帰路へ。一緒に食べても良いのだが、病院食を食べさせることに抵抗がある様子の夫。。。

そんなこんなで1日が終了。外はちょっと嵐の様に風が吹き続けている。今夜は心地よく眠れるだろうか。

朝食はミューズリー。珈琲を追加してもらう。

昼食
大豆ミートでのグリーンカレー
苺ムースと果物のデザート付


夕食
コールドミートのサラダ。
意外にこれが美味しかった。

2014年5月10日土曜日

入院生活2日目 (24週+4 切迫早産)

夜中の1時半に陣痛が始まったらしく、人が入れ替わりやってきた後、隣人は分娩室へ移動していった。それで起きてしまってから再び寝入る事が出来ずにそのまま朝を迎える。体が熱を持っていてとにかく暑いのは変わらず。点滴同様、ひたすら24時間冷却剤のお世話になる。

週末という事で、心なしかスタッフが少なさそうであるが、薬の副作用でだるい私には多少の静けさがありがたい。二人部屋に一人となった為、窓側に移れるか聞いてみたが、処置の関係上難しいとの事。代わりに窓を全開にしてくれる。少し風が入ってきた。

陣痛も無く様態安定。医師の回診時に、食事の際は少しならベッドを起こしても良いと言われる。この切迫早産状態がどれだけ前から始まっていたのか、わかる術が無いが、それまでは普通に生活していたのだから、短時間少しベッドを起こしても急激な変化は起こらない筈、という。ほんの少し起こすだけでも、食事のし易さは格段に違うという事を実感。

午後2時半過ぎ、最初のステロイド剤投与から48時間経過。これでまず第一の山はクリア。48時間の間制限されていた水分摂取(24時間で1.5L 以内)も、自由に摂取してよいという。

午後3時過ぎに夫到着。息子は、、、寝てしまったので車の中にいるという。車に放置、、、場所が場所なら(アメリカなら)逮捕ものである。暫くして迎えに行った息子は自転車に乗っていたらしく、ヘルメットで部屋にやってくる。保育園の先生達が書いてくれてたお見舞いカードを持って来てくれた。息子も一緒に作ったらしい。ありがとうね。

もう少しいて欲しかったのだが、息子も飽きてきた様子だし、何より夫がお腹が空いてイラついている様子。私の食事時間に合わせて帰宅してもらった。

朝食 
ミューズリー、パン1個、ジャム
チーズはオプション追加。
珈琲を頼みたかったが、水分制限の為やめておいた。
昼食
ゲシュネッツエルテス、ポレンタ、カリフラワー付け合わせ
デザートアイスクリーム



夕食
白ソーセージ
ラディッシュサラダ、ブレッツエル
パイナップル

2014年5月9日金曜日

入院生活開始 (24週+3)

なかなか眠れずとも、広い分娩室で朝が来た。
ステロイド剤の副作用で、暑くて暑くて中々落ち着けず、部屋の温度をかなり下げてもらっていたらしく、助産師達は寒さに震える。それでも私は暑い、暑い、 と冷却剤をぬいぐるみの様に抱っこしての一晩だった。

そうそう、昨晩遅くに、夜ご飯が許可される。スープと大きな果物のケーキ2個。これが夜ご飯?驚きだったが、あまり食欲も無かったので、ラバーバケーキだけ食べてプラムケーキは残しておいた。これがこの日の朝食になった。

朝のシフトの助産師から、状態が落ち着いているので、8時に入院管理病棟に移ると告げられる。尿カテーテルが取れるかを医師に確認してくれた様だが、許可下りず。寝たきりのまま、病棟に移動となった。

部屋は3人部屋になるかと思いきや、2人部屋。空いてなかったのだろうか、と思ったが、後から分かった事だが、状態を考慮しての事らしい。2人部屋でも、一人の人は陣痛促進剤を使用して陣痛を待っていた状態の為に居たらしく、昼間はひたすら外で歩く事を指示されていて不在、その晩分娩室へ移動していった。

病棟へ移ったが、特に変化は無し。変化と言えば、分娩室では専任の助産師がついていたのだが、ここは患者の一人。用事があればこちらから、が基本となった。一人目の時の入院時は色々と説明があったのだが、今回は何故か説明は殆ど無し。
 以前からの変化といえば、一日の予定表がラミネート加工されて個人机に配置されている事、食事のメニューが週毎に小冊子の様に印刷されて各部屋に配布されている事、食事の注文を取りに来る人はラップトップを持ってきて注文を取る事、ぐらいだろうか。
1週間のプログラムも健在。ただ、月曜のお絵描きセラピーが毎週では無く月に2回となっていた。

処方された薬は子宮収縮を抑える為の点滴(Grynipral)の24時間点滴投与、Bryophllum という白いラムネ状のピル(2個ずつ1日4回を噛む)。薬では無いが、マルチビタミン剤1個と便秘予防のマグネシウム1日2-3袋。夜には浮腫み防止の為の注射。あとはひたすら安静。検査は検温・血圧測定・CTG(午前と午後)。医師の回診も1日1度。

息子は臨時で保育園に預かってもらった為、午後から夫が一人で 来院。着替えと歯磨きを手伝ってもらう。保育園の迎えに合わせて帰宅。この日は息子は連れてこない事にして、夜にSkypeでお話。「ママ、どうして帰ってこないの?」ごめんね。。。
この日の体調は至って安定していたが、兎に角薬の副作用で暑い。何度も何度も冷却剤を変えてもらいしのぐ。まず第一の山、24時間が経過した。2本目のステロイド注射。あと24時間。

昼食 スープ、サラダ、林檎。
サーモンにワイルドライス、アスパラガス添え。





夕食 スープ、サラダ。デザートも。
野菜と穀物のグラタンの様なもの。

寝たきりで写真を撮るのでピントも構図もうまくいかず。。。

分娩室へ (24週+2)

ものの10分程度だろうか、大学病院に到着。そのまま準備されていた分娩室へ運ばれ、分娩室のベッドに移動させられます。
救急隊員から申し送りがあるのだが、3名中2人が状況を正確に把握できていなかった模様で、話し合いの様になる。「胎盤が出ていると聞いた気がするんだけど。。。」「私も」「いや、胎盤じゃないでしょう、羊水じゃない?」未だ妊娠・出産経験の無さそうな二人だ、状況が分かりにくくても仕方がない。大学病院の助産師が、「胎盤?!」と驚きながら、かかりつけの医師から渡された詳細を読む。状況が把握できた様子。救急隊員は暫くして部屋を出ていった。少し遅れて、夫も登場した。

実はここから先はあまり順番を追っては覚えていない。
病院の服に着替え、浮腫み防止のストッキングをはかされる。頭を下にして足・お尻が上になる様にベッドを傾ける。CTG(NSTの事)で陣痛と胎児心拍数を調べながら、血管確保の点滴針を差し込む。救急隊員は手の甲につけたが、長期間必要な点滴となった場合、手の甲では手作業の邪魔になるので、腕にしたいとの事で、差し直しを提案される。OKするも、、、何故か中々成功せず、何度も何度も失敗。腕が穴だらけ。最後には麻酔科医を呼んできて試みたが、麻酔科医も2度失敗。やっとの事で血管確保成功。帝王切開に向けて、書類手続き、尿道カテーテルが取り付けられる。これの痛い事と言ったら。。。

医師の検査もあった。かかりつけの医師の診察通りか調べるとの事で、腹部超音波検査。やはり子宮口が開き、羊水が産道に出ているとの事。
まずはいくつかの薬を服用させられる。いずれも子宮の収縮を抑える為のもの。白いラムネ状のもの、黒いカプセルに入ったものを噛む。それから前回もお世話になった、血圧の薬、Adalat。これで様子を見ると共に、これから小児科医が来て説明がある事を告げられる。今のところ食事も水分も禁止。

暫くして小児科医が2名登場した。
第一子の際も小児科医の説明があったので、似たような説明を予期していたのだが、メッセージは異なるものだった。「妊娠期間はどれくらいか知っているか。」「40週」「現在24週+ 2。つまり16週早い。これが大きいと思うか」 そんな下りの後での説明はこういうものだった。
当病院では、単なる蘇生を目標としていない。我々の目標は質の高い生活である。24週で生まれるという事は、蘇生できたとしても多くの障害が残る可能性が高いという事。生まれた子をどうするかを決めるのは親である。
病院側は25週を過ぎていれば、蘇生の為のあらゆる手段を尽くす。24週の今、どうするかを決めるのは親。万一蘇生の為に全てを行うと決めれば、我々は蘇生の為のあらゆる手を尽くす。そうでないという選択もあり、その場合は蘇生措置はとらず、赤ちゃんを包んで連れてくる。 注意すべきは一度決めた事は後で覆せないという事。諦めると決めて、分娩中にやっぱり蘇生させて欲しい、と言っても、その準備は出来ない。生まれた後に病院で確率された基準をもって、赤ちゃんの状態を観察し、医師としての助言・提案は出来る。

生まれる赤ちゃんは何としてもその命を保つべく尽力されると信じていた私。この話は衝撃的過ぎた。そのせいかはわからないが、運ばれてきた時に全くなかった子宮収縮がかなりの強さで発生する。

蘇生の為の全てを尽くすと決めた場合、まず行う事は肺機能の成長を促進させる為のステロイド剤を投与する事。2度に分けて投与され、2本目は24時間後に投与。48時間で終了となる。まずの第一歩は48時間持たせる事となる。

第一子の際には特に我々の見解も無く、ステロイド剤の投与が開始されたのだが、今回は投与を決めるのは私たち、親という事らしい。私は迷い無く、「蘇生に全力を注いでください」と言ったものの、夫は迷いがある模様。何やら的を得ない話を医師に伝える。医師としては、蘇生と決めたら1分でも惜しいのだが、二人で話し合いが必要なら、と45分のタイムリミットをくれて席を外した。

正直、夫は障害のある子供を育てていく自信が無いという事だ。それは私も理解できる。が、今どういう状態なのかも分からない。とりあえずやれるだけの事はする事に、何の異議があるのだろうか。夫は困った様子を見せながらも、最終的には私の希望を、と決めてくれた。

ステロイド投与に際して、夫なりの懸念もあった様だ。赤ちゃんへの影響。医師によると、考えられることは、後に多動症やADHD 等。この投与を出来るだけ後まで待つ、という選択肢も親にはあるらしいが、万一出産になった場合、この処置をしているとしていないでは障害の度合いも異なるという。何よりもこの薬のクリティカルな点は、投与してから48時間をすぎないと効果が無いという点である。

傍にいた助産師も助言をくれた。「私があなただったら、ステロイド投与します。今の状況、あなたの年齢などを考えても、 ステロイドのマイナス面よりもプラス面が遥かに勝っているから」

ステロイド投与を決め、即医師に連絡をとってもらう。直ぐに医師が現れ、決断を確認、準備に入った。第一子の際は腕にしたらしい注射は太腿の腰近くに打たれた。これが痛い。こんなに痛いものだったとは。。。

まずは24時間、そして48時間持たせる事が当面の目標です、といいつつも、帝王切開の準備も進められる。 医師が来て、帝王切開の方法、リスクについての説明。麻酔科医によるリスクの説明。似たような説明が、入れ替えやってくる医師らによってなされていく。
小児科医との話がストレスになったか、子宮収縮が始まってしまったが、服用した薬では収まらない為、点滴も開始されてしまった。今思えば、あの小児科医の話が無かったら、服用薬だけで大丈夫だった様な気もするのだが。。。

とりあえずは分娩室で待機する事になった。分娩が先か、48時間経過が先か、、、
通常の出産同様、担当の助産師がシフトでつき、至れり尽くせり世話をしてくれる。
途中夫は帰宅し、息子を保育園から迎えて一緒に連れてきた。突然病院でベッドに横たわる母を見て、彼はどう感じたのだろう。頭の良い子なので、きっと理解はしてくれているだろう。
夜、夫は息子を連れて帰宅。私は一人分娩室で夜を明かす事となる。


2014年5月8日木曜日

妊娠定期健診 (24週)

3週間弱の休暇から無事戻り、慌ただしく仕事を終えた翌日は定期健診の日。
このところお腹の張りも増しているし、破水だろうか。。。と疑わしいおりものも増えていたので、丁度良いタイミングでの検診だ。朝は普通に息子を保育園に送った足でジムへ。普通に45分間のクラスを終えて、すがすがしい気分で検診へ。

体重はこのところのお腹の出具合が物語る様に、前回から3㎏増。日本でなくてよかった。。。 尿、血液、血圧共に問題無。

問診では出産病院の登録から。前回と同じ大学病院でいいか、と問われる。はい、と答えながらももう一つの候補について意見を聞いたが、医師としては医療の面から、ダントツ別のレベルにある大学病院を進める、との事。夫も気に入っている大学病院への登録をお願いした。

今回は簡単な検診との事だったが、前歴(切迫早産)があるので、念の為に見て見ましょう、という事で診察台へ。まず気になっていた破水か否かを調べると、簡単なテストで破水ではない事が確認できた。一安心。
しかし、経腟からの超音波検査が始まった途端、医師は無言。そのまま超音波画像を見ている。「今日はご主人は?」 の質問が、実は単なる世間話ではなかったのを悟ったのはその数分後。「これから大学病院のNICUに電話します。」と直ぐに連絡を取る医師。それから救急車の手配をさせる。それから超音波の画面を指しながら、「子宮口が開いている。更に羊水の入った胎膜が外に出ている。これから気を付けて内診します。」胎膜羊水が見えるらしい。連絡の取れた救急隊員と話す医師。私には夫に連絡を取る様に言うが、「ご主人に何て言ったらいいのかしら。。。」と独り言。たどたどしく、「直ぐに来れる?」と話している私の電話を奪い取り、医師が夫に話す。「これから救急車で大学病院に緊急搬送です。とにかく急いで来て下さい。万一救急車が先に到着した場合は、あなたを待たずに搬送します。」
夫と救急車を待つ間、医師は言う。「赤ちゃんの大きさは、、、約900g。これはいい。今の医療技術、700gを超えていれば十分生存出来るわよ。」そして続ける。「これから直接分娩室に行くことになります。幸い大学病院のNICUに空きがあるので受け入れ可能です。」
前回の切迫早産体験から、ある程度の知識のある私だが、前回と違う点も多々あり、状況把握が出来ない私。「どうなるんですか、これから。」「赤ちゃんが生まれます。」え。。。。。絶句。 今まで平静だったのだが、突然涙が出てしまった。「ごめんなさい。」と医師。「でも、ポジティプに考えて。赤ちゃんはもう900gだし、何よりもほんの数キロ先の大学病院に受け入れ状態がある。今日が検診で何かある前に見つかって。。。」確かにそうだ。今の医学、赤ちゃんは大丈夫な筈だ。

少しして夫が登場。その後に救急車到着。3人の女性スタッフが対応。タンカの様なものに移され、階段を運ばれ救急車へ。夫は同乗出来ないので車で後から追いかけるという。
救急車の中で、慌ただしくも作業が並行する。手の甲に張りを差し、血管を確保、水溶液を投入。「青いランプを付けて走ります」とサイレンを鳴らして出発。