2011年3月16日水曜日

やっと両親と連絡がとれた

地震の起きたその日、知人のお陰で宮城の両親の無事を確認する事が出来たものの、私から直接両親と連絡はとれなかった。連日TELをしてみるも、繋がらず。私の方では、色々情報が取れていたし電話の接続規制がある事も承知していたし、何よりも一応無事を確認出来ているという事で、比較的落ち着いていたつもり。
なのに、やっぱりいざ直接連絡が取れると、安心していた筈なのに、ようやく安心、という気持ちになるのは不思議なもの。

建物への被害は比較的軽かった模様だが、家の中はめちゃくちゃの為、暫くは車で寝ていたとの事。それも車のガソリンがある間のみで、その後は家の中に移ったらしい。電気が通ったのは水曜日。水とガスは未だで、町の避難所では食料が不足しているという。
町の全てが津波にのまれてしまった地域と違い、被害は少ないものの、その分救助のAttentionが低いと見られる。田舎なので、車が無いと避難所へも行けない。(母は歩けない)
それでも、やはり命も助かったし、無事に過ごしていて、少しずつでも改善に向かっている事は、喜ばしい事。

また、父は復興支援の為に動き出したという。父の職業が、こういう時に役立つスキルを持つものなのだが、自分達の事だけを考えずに、支援に出ているという事を聞いて、本当に嬉しく思った。
電気が回復した事で、情報も取れ出していて、原発の状況についても気をつけている模様。

そんな父の姿に力づけられ、私も何かしなければ、と、募金は勿論だけど、その他に、Internetを使って出来る通訳・翻訳のボランティア登録をした。これなら、スイスからでも、ベッドで寝ていても出来る。

まだまだ懸念される事は多いが、皆が自分に出来る事を考えて行動すれば、きっと良い方向に向かうと信じています。

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