2010年12月27日月曜日

食べられない!(25週目)

25週目、日本で言えば7ヶ月。
これまで特に問題の無かった妊婦生活に、変化の兆しが。
食べられない!
つい2日程前からです。食事の後に気持ち悪くなる様になりました。
かなり辛いです。じゃあ食べなきゃいいのに、、、と思うんですけど、何せ今はHoliday Season、更に私は食べ物大好き。食べないわけには行きません。

この症状、第2次つわり、と呼ぶ人もいるらしいですが、要はお腹が大きくなって、胃が圧迫されている状態なんですね。非常に理論的です。対策は、少量をこまめに食べる事。これ、まさにダイエットにちょうど良い食事の取り方ですね。

分かってはいるんだけど、ちょっと食べ過ぎては(って言っても、通常よりも少ない量しか食べてないんだけど)苦しくて後悔。。。これ、これから暫く続くんだろうなあ。

2010年12月26日日曜日

名前 その2

名前の案がなかなか出ないのは先日書いたけど、先日パートナーの実家へ出かけた時に、名前の話になった。

これまで、彼の両親は、余り私達の事には関与しないものだと思っていたんだけど、どうやら孫の事となると、話は違うらしい。結構白熱した議論になった。色々と名前の案を出してくれるのはいいんだけど、やっぱり私の希望を理解してくれてはいなくて、自分達の希望ばっかりなんだよね。
その翌日も、彼の弟が来た時に、また皆で名前の話になって、ご両親ってば、『色々案を出したのに、ぜーんぶ駄目って言うの!!』とちょっと責めているとも取れる言い方。。。 私が頑張って唯一あげた案3つくらいには、『苗字と同じイニシャルは絶対駄目!』 『短い名前は絶対駄目!最低2つの音が無きゃ』 と、かなり熱くなっている。

何だか、初めて嫌悪感を感じた。。。
そりゃあ彼らにとっては初孫だし、子供は彼の苗字を受け継ぐから、何となく気持ちも分からなくはないけど、生まれてくる子は私達の子供。名前くらい私達で決めさせて欲しい。彼らの希望は自分達の子供の時に通したんだろうから。

 愚痴ですね、これは。ごめんなさーい!

2010年12月17日金曜日

名前

スイスでは、出生の際に、名前を決めておかねばならない、という様な事をどこかのBlogか記事で読んでから、何となく、そろそろ名前を考えなければなあ、とは思っている。

名付けに際しての私のこだわりは、以下の3点:
1. 日本の名前である
2. ドイツの名前でもある
3. 英語圏でも通用する

私自身の名前だけど、両親は海外とは全く無縁で、私の名前は勿論日本で通用する名前の中から選ばれた。が、しかし、後に私はこの名前がいかに国際性に富んでいる名前かを実感し、ありがたいと思った。日本人の同僚で、英語名をつけてみたり、ニックネーム化してみたりと、名前を浸透させるのに努力をしていた人達が多々いたけど、私の名前は海外でもあっさりと聞き入れられ、時には『それで、日本の名前は何ていうの?』なんて聞かれる事も度々だった。
ともあれ、私は自分の名前が自分の名前であって、とても便利だったのである。

いざ考え出してみると、なかなかこれが難しい。
女の子の名前は比較的沢山ある様な気もするが、『R』と『L』の違いが気になるものが多い。
男の子の名前は、何故かこれ!というものがあったのだが、英語圏ではこの名前は間違って発音される事もあるらしい。でも、私は何故かこの名前に決めていたのだが、ある日それをパートナーに話すと、即座に却下されてしまった。理由は、古い名前だから、との事。
この辺の感覚は日本人の私には分からないけど、日本だったら、太郎左衛門とか、そういうイメージなのかなあ、、、、

で、結局全然名前が考えつかないのだけど、パートナーはパートナーで、勝手に名前をつけて使用し始めてしまった。何故この名前にしたのか、全くをもって分からないが、私が生理的にピーンと来ないものだから、私も即座に却下。それでも彼は、ひたすらこの名前でもって、『○○の様子はどう?』なんて会話してくる。困ったものだ。

昨日寝静まる前に、またしてもこの名前について議論になった。
彼が、『○○』と呼ぶと、なんと、赤ちゃんが動いた。
更に別の名前の候補をあげる。。。。と、赤ちゃんが動いた。
更に別の名前の候補を。。。。再び、赤ちゃんが動いた。
これが、多分20個以上の名前でこの反応が出たもんだから、大笑い。
私いわく、『その名前は嫌だ!って抗議してるんだよ』
いやあ、面白かった。普段話しかけても反応して動くって事は無いんだけどね。

そんな遊んでいる暇もそろそろ無くなって来るから、真面目に名前、考えなきゃ。

近頃は、日本の名前も多様化してきて、私の同級生には絶対いなかった様な名前が増えてきているから、『日本の名前』にこだわらなくても、という意見もある。
妥協点としては、日本でも正しく発音される名前、とするしかないかな、なんて思ってます。

2010年12月13日月曜日

Cinnamon Roll

ちょっと前の話なんですが、何故か久し振りにCinnamon Rollが焼きたくなった。
思い立ったら即実行!

よく考えてみたら、Cinnamon Rollは焼いた事が無かったかも。。。初めてアメリカに留学した15歳の時に、Host Familyがいつも焼いてくれたCinnamon Roll。懐かしいけど、あれにどれだけのカロリーが含まれていたかは勿論当時は知る余地も無かった。

さて、私のCinnamon Rollは、低カロリー版。(?)
単に、巻き上げる時のレーズンとシナモンの他に普通は砂糖もまぶすのだけど、それを省略したもの。

ちょっと寒いこの日、Videoを見ながらひたすら生地を捏ねる。捏ねて捏ねて捏ねて、、、1時間半は捏ねただろう。
お陰で生地はとっても大きく膨らんでくれました。

その後は簡単。延ばしたものにレーズンとシナモンをまぶして、再度発酵させる。
そしてオーブンで焼くと、、、、いいにおいがしてきました!

味は。。。やはり甘みがちょっと足りなかったかな。
でも、私は大満足です。
また作ろうっと!

2010年12月12日日曜日

Triemli 見学

土曜日の午後、Triemli 病院の、産院見学に行って来ました。
毎週土曜日の午後に、お産をする部屋(Gebärabteilung)と、産後に入院する部屋の見学があるのですが、当日お産が入っていると見学が出来ない為、当日の13時以降に病院にTELをして当日の見学ツアーの有無を確認し、有る場合には15時から約1時間の見学ツアーに参加出来ます。
(確認のTEL番号:044 466 11 11

前回はお産の為NGでしたが、今回はOK、という事で、パートナーと一緒に見学ツアーに参加。この日は全部で10人の妊婦の参加でしたが、ほぼ全員がパートナー同伴。お産は一緒にするもの、という概念が浸透しているんでしょうね。ツアーでの説明でも、パートナーの存在・役割がいかに重要か、という事をナースが話していました。
ちなみに説明は、ドイツのドイツ語で行われました。私も含め、外国人がやはり数人いたようです。

この病院、お産部屋は6つ。内2つが、水中出産が出来る部屋。
産後入院の部屋もそう多くは無く、こじんまりとした病院です。

この日聞いた情報の中で、私がなるほどと思った事を、覚書も兼ねて、書いておきます:
1) 産後の入院期間は基本5日
2) 普通保険での入院は基本的に3人部屋。1人部屋の追加費用、240CHF/1泊。
3) 無痛分娩は約50%
4) Triemliでは、自然分娩を推奨しており、アロマセラピーや針等の知識も豊富。
5) 赤ちゃんは基本的に母親と同室だが、授乳や沐浴の部屋が別に用意されてもいる。
6) 乳児の専門家が別の病棟の為、万一赤ちゃんに問題がある場合には、赤ちゃんは傍に居れない。
7) 3人の助産師が在中。少なくとも1人は英語が可能。医師や看護士についてはほぼ全員英語可能。

私は、スイスで保険に入る前に妊娠が発覚している為、任意保険に加入しているものの、今回の妊娠には基本保険しか適用されず、基本3人部屋になります。が、3人部屋だと、パートナーが一緒に宿泊出来ないという事から、彼の強い希望により、きっと自費での1人部屋選択になりそうな気配です。勿論、この病院で産む、と決めたら、ですが。


既に臨月の妊婦さんも見学に来ていましたが、私は出来るだけ早く産院を選んで、心の準備に入りたいと思います。

2010年12月7日火曜日

手軽なFitness

スイスで手軽に出来る運動、と言えば、ハイキング。
私の住んでいるところは、町の中心地に川が流れていて、この川沿いの至って平坦なハイキングコースが、地元民の定番の様です。

少し難易度の高いハイキングを、と思ったら、私は裏山に登ります。
さほど高い山では無いのですが、Sunset時や週末には、結構な数の観光客がやって来て、頂上からZürich湖や街並みを見物したり、頂上のレストランでスイス名物、チーズフォンデュを堪能したりしている、ちょっとした観光地(?)です。
ここに来る人の殆どは、ゴンドラの様なロープウェイを使って昇ってきますが、私はここを歩いて登ります。距離にして1.5km、高低差300m、とちょっとだけハードなコース。

6ヶ月半の身重の私には、ちょっときついと言えばきついのですが、近頃全く運動をしていないので、久し振りに晴れたこの日、思い立って夕方近くに登ってみました。
参道には、雪がちょっと残っていたり、ぬかるんでいたりと、決して歩きやすくは無かったですが、いつものように約30分程で頂上へ。


















夕方、すっかり陽も沈んでいたので、薄暗い景色となりましたが、雪を被った山並み、やっぱり綺麗です。

ちなみに、ここが、頂上のレストラン。
夏は外のパティオで食事が出来て、気持ちよいです。(勿論冬でもOKですけど、、、、)









ちょっとだけ散歩をした後は、例のゴンドラ (LAF)で、山を降りました。いつもは歩いて下りますが、滑りやすくなっている参道なので、念の為。。。 5分程で到着。すっかり薄暗くなっていました。


 良い運動でした。

2010年12月6日月曜日

Sankt Nikolaus と Knecht Ruprecht

今日のドイツ語学校での先生の第一声は、これでした。
『今日はセント・ニコラウスの日です』

どうやら、毎年12月6日、スイス(ドイツも)ではサンタクロースがやって来るらしい。
え?24日に煙突から入って来るんじゃないの?と思いきや、それはサンタクロースで、Sankt Nikolaus (又はスイスドイツ語で、Samichlaus)とは別者らしい。紛らわしい。。。

この日Sankt Nikolausは、必ずお供を連れて来ると言う。
彼の名は、Knecht Ruprecht (スイスドイツ語で Schmutzli)、サンタが赤い服を着るのに対して、茶色の服を着ている。
サンタが持ってくる分厚い本には、子供たちが良い子だったか悪い子だったかが記されていて、悪い子だったら、このお供のKnecht Ruprecht が、持っている枝でお尻を叩くか、サンタの袋に入れて連れて行ってしまうと脅すんだそうです。

この日、子供たちは、サンタの袋から、ちょっとしたプレゼントを貰います。
大抵は、ナッツ類、果物、チョコレートといった類のもの。
それと、スイス限定らしいですが、Grittibänz と呼ばれる、人形の形をしたパンを食べるのだそうです。

そう、この人形の形をしたパンこそが、、、、先日の超音波写真で見えた胎児にそっくり、というやつです!今日もスーパーで沢山の Grittibänz を見ましたが、やっぱり似ている。。。。

ともあれ、また新しく、クリスマスにまつわるイベントを学びました。

2010年12月5日日曜日

産院探し

スイスでは、通常の妊婦検診でかかる医者と産院が異なる場合が大半。
私も定期健診は、地元の婦人科医で見てもらっているが、ここでは出産を扱わない為、産院を選ばねばいけない。

通常の保険に加入している私は、公立病院での出産を選択する事になる。
勿論、私立の病院を選んでも良いのですが、自費になります。私は公立の病院で十分。

Zürich近郊での公立病院というと、私の知っている限り、2つ。
① UniversitätsSpital Zürich
② Stadtspital Triemli

週末を利用して、両方見学に行ってみました。
が、いずれも病院の建物を見て、受付の人と話をした程度。いずれの病院も、月に1度、説明会があるので、まずはこれに参加してみようと思います。

受付や担当の方と話してみた印象では、UniversitätsSpitalがいいかな。
皆、綺麗なドイツのドイツ語を話してくれるのと、何となくProfessionalな気がする。At Homeな産院がいい、というならTriemliかもしれないけど。

まだ出産まで日もあるので、じっくり決めようと思います。

2010年12月3日金曜日

第2回 妊婦検診 (21週目)

スイスで2度目の妊婦検診(Schwangerschaftskontrolle)。
21週目で2度目とは、少なすぎない? という友人の声もあるが、初検診が遅かったものですから。
担当医師の検診プランによると、約22週での検診は、通常4度目の検診となるらしい。
主な内容は超音波による胎児の臓器検診(Organscreening)。性別の判定も可能。
ちなみに臓器検診は、日本やアメリカではあまりしなくなったテスト、との事です。

病院に到着後、まずは尿検査。
そして、体重測定、ヘモグロビン測定、血圧測定。
体重が、既に+7KG、前回から+4KG! と相成っていたのにもかかわらず、
『全てパーフェクト!』のコメントが。。。日本だったら、散々怒られているよねえ。

医師の診察室に入り、日本で貰ってきた子宮癌検診の結果を渡し、簡単な問診。
日本で12週頃に、首の厚みを測る検査はしなかった旨を伝えると、既に前回の血液検査の結果、染色体に異常のある可能性は、2500分の1位の低い確立である事を言われる。勿論確立がゼロではないが、よって、医師の見立てでは、これ以上の検査、すなわち羊水検査等は不必要。とりあえず、一安心。でも、驚いたのは、血液検査が、聞かれる前に当然の様に行われていた事。知りたい、知りたくないは、患者の権利の様な気もするが。

問診の後は、早速超音波検診へ。
今回も良く動く事に、笑い出す先生。
色々細かく見ているものの、何が何だかさっぱり分からない私。先生がこれが足で、、と説明してくれてもなお分からない。
ともかく、全て順調で、現在、胎児の体重は約500g。
ちょっと待ってよ、、、じゃあ私の体重増加っていったい何??

この日、約13週の検診で貰う事になっていた母子手帳(Mutterschaftspass)を貰う。
とは言っても、日本の様に色々情報が詰まっているわけではなく、これまでの検診の結果を印刷してケースに入れたもの。これを印刷する時、おっちょこちょいの先生、私のデーターを誤ってDeleteしてしまう。。。あらら。。。
この母子手帳、血液カードと共に、常に携帯する様に、との事。

それから総合ビタミン剤、マグネシウム剤を処方され、ここ暫く続く皮膚の痒みに対する薬の処方箋をもらう。このビタミン剤の高い事、、1箱50CHF!!ここでもスイス価格。。。
念の為、皮膚の痒みの原因が他に無いかテストをする為、採血。徹底しています。比べて、あの日本の皮膚科、何だったんだろう。。。

1時間ちょっとの検診。胎児の超音波写真ももらって、大喜びのパートナー。
この超音波写真、何だか全然分からなかったんですが、どうやら目と口とがある全身写真らしい。
え、、、全然人間に見えないのですが、、、
これ、夕方に寄ったスーパーで見たクリスマスのパンにそっくりなんです。











相変わらずドイツ語での説明は6割位しか分からない私だけど、全て順調、その分パートナーが一生懸命付き添ってくれるから、このスタイルで、私は満足です。

次回の検診は、クリスマス休暇の為、6週間後です。

2010年11月29日月曜日

ZVVのお得な乗車券

ZVVとは、Zürich近郊の公共交通機関。と言っても、SBBのルートの一部を利用しているので、基本的には料金システムのみが若干特別だがSBBとほぼ同じ、と思って良いと思う(私見)。

SBBのHalbtax(半額カード)を所持している私にとてもお得で便利なのが、この24時間乗車券の回数券(ZVV Tageswahlkarte)。
一枚で6回使用出来、それぞれ事に24時間有効。この24時間、というのがなかなかよろしい。(ちなみにFrankfurtは日付が変わってしまうとNGだった)
これ、Zoneを指定して購入が出来て、私は住んでいる町のZoneと ZürichのZoneをカバーするものを使用。Zürichは2 Zoneに数えられるので、3 Zone分、という計算。これがどれだけお得か、というと:
A町からZürich 迄の片道料金 3.80CHF
この回数券を使用した1日辺りのお値段 5.80CHF
(いずれもHalbtax利用)
つまり、往復するだけでも24時間回数券を使った方がお得、ということ。
これがあれば、24時間、電車もトラムもバスも船もロープウェイも、乗り放題。

購入は、SBBの窓口で。

スイスで語学学校

スイス帰国翌日、時差ぼけの中、早速語学学校へ行って来た私。
せっかく労働許可もおりたし、スイスに暫く落ち着く事も決まったので、本当は仕事でも探せばいいのだが、出産まであと4ヶ月、来月はクリスマスや新年のイベントもある、という事で、 この4ヶ月は求職活動は見合わせ、語学学校に再び通う事にした、という訳である。

候補に挙げた学校は2つ。
一つは、かの有名な、Migrosが経営する、Klubschule
もうひとつは、Benedict という朝食を思い浮かばせる名の学校。
いずれもポイントは、学費が安く、Intensive Course がある、という事。
学費が『安い』と言っても、ここはスイス。1月軽く10万円は飛んでしまうのだが、語学学校に集中して通えるのはこの2-3ヶ月が最後だろうし、という事で、最後の投資。

金曜日はZürich 市内にある、Benedict へ。
レベル分けテストと、お試し授業が受けられるとの事で、Appointmentをとっていったものの。。。なんと、お試し授業は受けられない、との事。話が違う!更に、今日中に申し込みを、さもなくば1月迄待つべき、という非常に強固なセールスに出た。
この学校、かつてGeotheであったようなPCによるMedia Labが充実しており、その点で私の評価が高かったのだが、このセールスのせいで、かなりのマイナス評価となってしまった。
一応レベル分けのテストを受けたものの、その後のFollowが全くなってない。結果を連絡します、と言いつつ、未だに結果がこない。
Migrosより若干授業料が安く、自主学習システムが充実している事から、ちょっと残念な気がしたが、何となく感じる直感から、この時点で既にBenedictは候補から外れた。

そして今日、月曜日。Migrosの授業は実は今日から始まっていたが、レベル分けのテストが、今日の午後の予約となっていた為、1日損をしてしまったが、ともかく、テストを受けに出かける。
良い噂も悪い噂も聞くこの学校。受付と、テスト担当員の対応は、非常にProfessionalで、好印象。
簡単なインタビューの後、36問、30分のテスト。
これがなかなか難しかった。いや、習った筈、という事はわかるのだが、すっかり忘れてしまっている。それでも全問回答し、解答用紙を持って、再び担当員の元へ。
早速答え合わせをすると、、、B2 の3レベル中、3番目のクラスから始めてOKとの事。これは意外な展開だった。きっとB2の2位だろうな、と思っていたから。

これに気を良くした私、早速受付で申し込み。
B2の3はあと1席のみ。
思わず、『それ、私が貰います!』と叫んでしまいました。

と、言う事で、色々悩んでいた学校が、決まりました。
明日から4週間、スイスでドイツのドイツ語を学びます。

2010年11月28日日曜日

Weihnachtsmarkt - Christmas Market

街の至る所で、Christmas Market が見られるようになりました。
大都市は勿論ですが、人口15000人足らずの我が町でも、今週末限定で、Christmas Market がありました。偶然見かけたものですが、早速午後と夕方と、二つの雰囲気を楽しむべく、出かけてきました。

流石に規模は小さく、
5分もあれば見て回れますが、夕方は、町の大通りで、パレードがあり、ちょっとだけ見る事が出来ました。
大勢のサンタクロースが出没。。。
赤い服と茶色の服のサンタがぞろぞろ。



子供たちに、プレゼントを渡します。
当然の事ながら、私は貰えませんでした。。。何が入っていたんだろう。。。

Christmas Market と言えば、Gluewein(スパイスの効いたホットワイン)。氷点下の寒空には、これに限ります。が、、、そう、今年はこれは飲めません。。。ちょっと物足りないなあ。

他には焼き栗のスタンド。私の大好物です。

パートナーの好物は、Lebekuchen。スパイスの効いた柔らかいナッツ菓子。アーモンドとヘーゼルナッツの2種類を購入。










このあたりは至ってドイツのChristmas Market と大差ないのですが、大きな違いを発見。
匂いです。何のって、、、そりゃあ決まっているじゃないですか。チーズです。
チーズを溶かしてパンに塗った、ラクレットという食べ物がスイス名物のひとつの様なんですが、このチーズを溶かす時の匂いの強い事といったら、、、チーズ好きの私でも、うっ、、、、!!!とくるではないですか。でも、スイス在住人としては、やはり一度は食べて見なければいけませんね。

今度は、Zürichの町に行ってみたいと思います。

クリスマス到来!

11月28日(日)は、クリスマスシーズンの幕開け、最初のAdvent(待降節)
Adventはクリスマスイブの4週前の日曜日から始まり、これからの4週間、クリスマスが来るのを色々な準備をしながら心待ちにする週間だそうです。

クリスマスの準備と言って思い浮かぶのは、クリスマスツリー。16歳の時に始めて迎えたアメリカでのクリスマスが鮮明に思い浮かびます。
それから、クリスマスクッキー。若き頃のクリスマスを過ごしたノルウェーで、7種類のクッキーを焼いて、クリスマスを待つ、というノルウェーの習慣を教わりました。勿論、このクリスマスクッキー、7種類というノルマは無いけど、ドイツでもあります。
アドベントカレンダー。これは、何処で覚えたか忘れてしまいましたが、クリスマス迄1日1つ、カレンダーを開きながらクリスマスを待つもの。

それに加えて、ドイツに来て初めて知ったものが、アドヴェンツクランツ(Adventskranz)。
モミの木のリースに4本のろうそくをつけたもので、日曜日を迎える毎に1本ずつロウソクに火を灯し、最後の日曜日には4本のろうそくに火が灯る、というもの。 輪(クランツ)は永遠の命、モミの緑は人生の色、ろうそくは 世界を照らす光。そして1本目の炎は「自由」、2本目は「信仰」、3本目は「愛」、4本目は「希望」を意味しているそうです。

このAdventskranz、今年は自分で作ってみました。
。。。とは言っても、リースも無ければ、単に4つのろうそくを並べただけのものなんですが、、

家にいる事が多くなりそうな今年の12月、こうしてクリスマスを迎えたいと思います。

2010年11月26日金曜日

外国人登録証入手

手続きは非常に順調で、私が日本滞在中の10月下旬には、「既に許可が降りました。外国人登録証(Auslanderausweiss)を受け取りに、8日以内に市役所迄来てください」、の通知が届いていた。

スイスに戻った日の翌日、早速市役所へ。
既に8日以内と言われてから1ヶ月近くが経っていたが、そのあたりは問題無い事を、
事前にTELで確認していた為、安心して出頭。

必要書類等:
① 上記の通知書
② 写真1枚
③ 有効なパスポート

これらを渡すと、ものの3分程度で登録証を作成し、そこにその場で私がサインをし、
完成。

許可証の種類は、『EG/EFTA B』というもので、労働が許可されるもの。
有効期限は5年。パートナーの滞在許可期間より長い。という事は、仮に我々が分かれても、私は引き続きスイスに滞在出来るって事?、、、なんて疑問は縁起でもないので、止めておこう。

ただ、ひとつ気になったのは、名前が旧姓になっていた事。
旧姓もなにも、私は日本で名前を変えていないので、パスポートから判断すると当然の事ではあるのだが、これまでのドイツ・スイスの書類は全て新姓で通ってきたので、
何だか不思議である。
特に問題は無いだろう、との事なので、このまま気にしないでおきましょう。。。

2010年10月28日木曜日

超音波消毒

待ちに待った(?) 歯医者へ。
スイスの健康保険では、歯医者は別でカバーされない為、歯科治療は非常に高くつく。と、言う事もあり、今回の滞在中に歯医者へ通う事に。

幸にも、虫歯は無し。
気になるのは、妊娠の影響だという歯周病。
前回の滞在中に、超音波消毒というものをしてもらい、あれから約3週間。
2-3度、来て下さい、との事だったので、2度目の消毒に伺いました。

簡単なチェックの後、超音波消毒。
再度Dr.がチェック。すると、、、

『驚く程、良くなっていますね!歯ブラシは何を使っていますか?』

歯ブラシは、、、これまで同様の普通のものですが。。。
何故そんなに改善されたのか不明ですが、前回の1度の超音波消毒が効いた、と言う事なんでしょう。
更に、家に帰って見てみたら、気になっていた歯石の様なもの (おそらくカルキでは無いか、と思う) が綺麗に取れていた! 前回の消毒では、変化無しだったのですが、今回、確かにこの部分を念入りに施術してくれていた様な。

10分程度の診察で、2200円程。
後1-2回来ると、計7000円位、という事は、アメリカでの私費Cleaningと差ほど費用的に変わらないかな。
ちなみにスイスではいくら位かかるのでしょうね。

2010年10月26日火曜日

マタニティービクス体験

日本到着翌日、日本でかかっている産婦人科主催のマタニティービクスに参加してみようと、早速足を運びました。
前回の滞在期間中にも行きたかったのだけど、14週を越えてからという事で、当時12週の私は未だ対象外だったのです。

開始時間の20分ほど前に病院の受付けで、マタニティービクスに参加してみたい旨を伝える。Studio は産婦人科から徒歩3分程の場所にある。
辿り着くと、既に病院から連絡が行っており、説明の後で早速体験。
まずは体重測定。既に3週間で2.5KG増えている。。。が、こちらは診察では無いので、特に怒られることも無く。それから赤ちゃんの心音確認。私の1分60回に比べて、165回という速さ!頑張っているんだねえ。

マタニティービクスは全部で約60分。
エアロビクスの軽い版かな。運動した事が無い妊婦さんには辛いかもしれないが、私には物足りないくらい。まあ、未だお腹も目立たないからね。もう一人の参加者は9ヶ月でお腹も大きく、少しやっぱり辛そうでした。
最後に腹筋を軽く行い、ストレッチで終了。

終了後には再び血圧と赤ちゃんの心音確認。
そして、ご褒美の (?) ジュースを貰って終了。

実家にいる間は行ってみたいけど、多分行けてあと3回だろうなあ。
物足りないとは言え、久々にジム運動して、楽しかったです。

2010年10月25日月曜日

Singapore Airline A380

前回LHのA380で、余り良い思いをしなかったが、今回のFlightもAirbus 380になってしまった。今回は予定がなかなか決まらなかった事で、日本往復が20万円位に跳ね上がってしまったので、奥の手段、Mileageを使う事にしたのだが、出発から1週間を切った事もあり、北周りの普通路線が全てNG、唯一のSingapore AirlineでのSingapore経由となってしまった。これだと、Flight時間だけで、11時間半+6時間、という遠回り。必要マイル数も、1万マイル多いのだが、仕方が無い。

最後の最後まで粘ってみていた、Seat Mapだが、結局この日もほぼ満席だったらしく、隣もすっかり埋まってしまった。このところ、Flightは殆どFullである。景気が良くなってきたのかなあ。

Zurich のLoungeで簡単な食事をとってからGateへ。
何と、Passport Controlは上の階の更にホール50-60メートル先位まで長く伸びている。。。間に合うのかしら、、、という不安もあったが、比較的早くラインは進む。
無事にPassport Controlを終え、Gateへ。そして搭乗。

真冬使用のフリースのお陰で、機内で震える事も無かったが、やはりAirbus、トイレの数が少ない気がする。いつもトイレは使用中。

さて、サービスに定評のあるSQ。
久し振りの搭乗だったが、やはり良いAirlineだった。
全体的にCAの対応は良いのだが、中でも一人、とても、とても、とても素晴らしい対応をしてくれたCAがいた。温かい飲み物を欲しがる私に、わざわざビジネスクラス用のカップに温めたミルクを入れて持ってきてくれたのである。私は、お湯にミルクを少し入れればいいです、って言ったんですけどね。『他のCAに言うと、、だから、他に必要なものがあったら、いつでも私に言ってね』と、その後も色々と気にかけてくれて、彼女のサービスで私のSQへの評価はまた再びUpしたのであります。

余りにも素晴らしいCAだった為に、次のFlight SIN-NRT線では、CAの機械的対応がちょっと物足りなく感じた程。

やはり、たとえ一人の対応でも、その会社に対するイメージを大きく変える力があるんだなあ、と今回も改めて思った次第です。

それにしても、長い旅でした。。。赤ちゃん、お疲れ様でした。
帰りはNRT-ZRH直行便です。(ホッ)

2010年10月22日金曜日

遂にスイスでも妊婦検定 (15週)

ようやくスイスでも、婦人科にかかる事になりました。
住民登録が完了した事で、やっと健康保険に加入出来たのです。
スイスでは、妊娠は健康保険でまかなわれます。
私の場合、スイス移住が既に妊娠発覚後であった事から、付加保険での特別待遇(例えば、私立病院や国外での病院での出産がカバーされる、等)は付いてきませんが、何も特別な事は必要ないでしょう。スイスの医療レベルは、高い筈なので、公立病院でも何の問題も無いでしょう。

地元での婦人科は調べた限り1箇所。
ここに断られたらどうしよう、と思いながらも、パートナーにTELしてもらうと、彼の都合の良い金曜日にAppointmentが取れた。日本出発2日前である。日本から戻ってからスイスでの病院通いを開始しても良かったが、スイスでの妊娠・出産事情が良くわからない事もあり、とりあえず行っておくことにしたのだ。

日本での診察結果を英訳して渡しておいたのに、それは医師には伝わっていなかった。。。あれれ。。。
受付でまずは尿検査、血圧、身長体重、採血。結局血液検査は再び行う事になってしまった。
そして診察室へ。HPで見たドクターとは違っていたが、こちらも女性でドイツのドイツ語を話してくれた。
早速超音波検診。染色体異常の傾向を見る為、首の厚みを測りたかった様だが、私の週数では既に時遅しらしい。それでも手足も脊椎も心臓の動きも確認され、とても元気だとの太鼓判。初めて見る超音波画像に、パートナーは興味津々。
『それにしてもよく動くわね』とは今回も言われた。動き回りすぎて、画像をしっかりとらえるのが大変らしい。良い事なのか、悪い事なのか。。。

その後簡単な質問等があり、診察終了。次の診察は6週間後。
予測はしていたが、写真も無ければ診察の結果も貰えず。。。
受け取ったのは、出産までの診察予定・項目と、注意事項、超音波についての説明の紙。
待合室に、妊娠についての冊子があったので、貰ってきました。

とりあえず、これで一応かかりつけの医者が出来ました。

Green Card 抽選

今年もこの季節がやってきました。Diversity Visa Program (DV-2012)。
永住許可証、通称Green Card の抽選応募。締め切りは11月3日。

抽選の類では、なかなか幸運に恵まれない私。
それでもこの5年位、毎年抽選に応募してきたのは、将来的にはやはりCaliforniaに戻りたい、という希望があるから。

今年は何かと忙しく、すっかり抽選の事を忘れていたが、パートナーからMailが入る。
『これ、忘れないように、、、』

毎年の行事なので、手馴れたものですが、今年は仕分けが『Married』となった為、それぞれ配偶者の情報も打ち込む必要がある。そう、即ち、結婚する事で、チャンスは2倍になる、というわけだ。

発表は来年5月から7月。
妊婦は当たる、というジンクスにあやかって、当たるかな、今年。。。

2010年10月14日木曜日

プール (Hallen- und Freibad im Tal)

何処に住もうとも、私がまず探すものは、Fitness Studio。
この町にも当然幾つかあるのですが、さすがスイス、年会費が高い!
。。。とはいっても、日本のFitness Studio と比べればそう高くも無いんですけどね。

そこで (?) 見つけたのが、公共のプール。
ドイツにもあったらしいけど、スイスでは室内プールが結構普通にある様で、この小さな町にも公共の室内プールが。
しかも、安いのです!見つけましたねえ、スイスで安いもの!(笑)

Hallen-und Freibad im Tal
使用時間 7:00 - 21:00
使用料 
1回券 5CHF (又は10回回数券 45CHF)
12ヶ月 190CHF (他の期間の設定も有り)

普通の25mのプールの他、子供用、飛び込み用もある。
更に、夏は外のプールもOpen!

1回券と10回券は、券売機で購入可。

2010年10月13日水曜日

住民登録と滞在許可申請

Kaontons Zürichのこの町に引越しが決まった後、早々にパートナーが住民登録をしに、役所へ赴いた。彼は元々スイス在住、という事になっていたので、引越し手続きは簡単に済んだが、私は外国人。まずは滞在許可証が必要という事で、申請出来なかった。

先日移民局からOKの返事が来たので、スイスへ戻って直ぐ、町の役所へ出かけてみました。
実際に行ったのは2つの登録。
1) 滞在許可申請
2) 住民登録

持ち物:
① 日本のパスポート
② 手数料 85CHF (住民登録20CHF、滞在許可65CHF)
③ 滞在許可申請書
④ 住民登録申請書
⑤ Kanton発行の滞在許可通知
⑥ ドイツでの婚姻証明書のオリジナル

小さな町に住むというのは、ある意味便利である。殆ど待ち時間なし。反対に、便利でないのは、英語ではなくドイツ語の対応が当たり前となる事。

滞在許可を申請する理由と、働いているか否かを問われ、書類をチェックした後、ATMカードで手数料を支払い、終了。
後は2-4週間、通知が来るのを待つだけ。
通知が来たら、それを持って、再び役所で許可証の発行をしてもらう。

さて、これで後は待つだけ!
。。。と思ったら、パートナーが、「で、いつから働けるの??」
。。。。。。聞いてきませんでした。。。。

という事で、翌日再び役所へ。
少し緊張しつつ、窓口のおじさんに質問。
住民登録をこちらで済ませてしまえば、もうその日から働いて良し、との事。

わーい!働ける!(← 働くの?? )

これで、一応正式なスイスの住民となったわけです。

2010年10月7日木曜日

妊婦歯科検診

母子手帳と共に交付された、妊婦歯科健康診査受診券。
早速実家の両親がお世話になっている歯科医院にTEL。
しかし、、、予約が取れない!
そうか、日本も歯医者は結構待たされるものなんですね。
唯一空いていそうなのが、帰国日前日の夕方。。。
他の歯科医院を探す事も可能だけど、たかが歯医者されど歯医者。
なんとなく確かな情報が欲しいもの。色々Webも見てみたが、さすが田舎、情報が殆ど無い!
散々悩んだ結果、帰国日前日の夕方に予約を取る。
これで、成田への移動は当日の朝になってしまった。。。

さて、予約日に早速歯科医院へ。
アメリカの歯科医に慣れてしまった私には、予約時間に行って更に待たされる、という事が日本では当たり前だという事を、つい忘れてしまっていた。でも、待合室には日本語の雑誌が!! これなら暫く待っても苦になりませんね。

30分ちょっとして、診察室へ。
さすがに小さな町、紹介者に母の名前を書いておいたら、「あ~、○○さんのね、、、はいはい、良くお母様からお話伺っています」 
相変わらず、お喋りな母である。

今回一番気になったのは、歯石。
しかし。歯石無し、との診断。。。
更に、虫歯。これもまた無し!
嬉しい反面、嘘でしょう。。。と思ったのも事実。

ただ、フロスをすると痛む歯茎については、妊娠に伴うホルモンの影響で起こる歯周病と診断。妊娠が終われば治りますけどね、とは言われたが、
超音波で数回クリーニングをすれば大分よくなる筈、との事で、早速。

終わって支払いを、、、と思ったら、
「無料です」
えっ? 診察の他に、クリーニングしてもらったのに?
良い歯医者さんに巡りあえました。

2010年10月6日水曜日

妊婦検診 (1回目・13週)

やっと手にした母子手帳。
次なるStepは妊婦検診。
初回の検診は、血液検査や癌検診等、色々な検査があるという事で、費用もそれなりにお高い21,660円也。町からの補助券では全額カバーできず、一部自己負担。

午後一番に、と思って病院のドアを開けた私。
あれ??診察券が無い。
でも、診察券が無くても母子手帳等あれば、データがある筈だし、、、と思ったが、その肝心の母子手帳すら無い。はい、妊婦は忘れっぽいんです。。。
結局家まで取りに戻ったが、徒歩25分の片道。それを3回だから約90分、しかも晴れた炎天下の中を歩いたものだから、やっと病院に辿り着いた時には汗びっしょり。診察のベットが汗でぬれてしまいました。。。(ごめんなさい)

尿検査、体重測定、血圧、採血、癌検診。
そして、超音波検査。今回の器械は前回と異なり、4D映像も見れるという代物。4Dって何なんでしょうか。未だによく理解できません。
が、それよりも普通の超音波では、小さな胎児が元気にくるくるくるくる動き回る姿が見られ、先生も驚き。『。。。元気ですねえ。。。』
わずか4日で、前回から1cm以上も大きくなっている。6.97cm。大きさから見立てたところ、14週目に近い大きさになってしまったという。まあ。。。。
それらを説明と共に見た後、別の器械で心音をチェック。
どれが心音なのか分からなかったが、1分程して、あ、ほらっ!という看護婦さん。ああ、確かに心臓の音の様だ。ちょっと嬉しくなりました。
もう一度超音波の器械で撮影しながら、VHSに記録してくれました。へえ、、、凄いサービスだわ。

問診では、パートナーが気にしてやまない宇宙放射線の問題を相談すると、ちょっと笑われた。気にしないほうがいいと思います、との事。むしろ妊娠後期の気圧の変化での早産等の方を心配するべきらしく、いずれにしても心配事は排除し、リラックスする事が一番肝心、との言葉。

診察の後は、助産師さんと別室でお話。
私の申告書が不可思議だったらしく、色々な事を聞かれる。パートナーの国籍や母の手術の件等等、私のプライベートが全て公開!
ベテランの助産婦さんで、とても話しやすかった。前回の方もそうだったけど、この病院、とても感じが良いです。

とにかく私の体も、血圧・糖等全て問題なし、体重管理も素晴らしいと何故か、何故か、何故か??褒められる。うーん、、、、確実に太っている筈なんだけど。。。ま、いいいか、考えすぎない事が大切なんだもんね!

という事で、晴れて私の母子手帳に最初の記録が書き込まれたのでありました。

2010年10月2日土曜日

母子手帳をもらう

妊娠証明を手にした私。
あとは役所で母子手帳を申請するだけである。
しかし、この町での母子手帳の交付は週に1度、1時間の間のみ。
今回時間がちょっとFlexibleでない私は、事前に相談した際に貰った番号に早速TEL、個別のAppointmentを取る。

時間丁度に役所に行くと、誰もいない中、担当の保健師さんが私の到着を待ってくれていました。
若い、笑顔のかわいらしい保健婦さん。用意してくれていた書類に記入が終ると、書類を確認しながら説明。
妊娠の経過や出産後の乳児の状況を観察していくシステムが町にある様子で、なかなか日本の手厚い子育て支援が感じられたのは、仕事をしていない人だけが感じるのかしら。。。
書き込む中に、『妊娠が分かった時の気持ち』というのがあって、正直に書いたら、少し笑われてしまいました。。。

受け取ったものは以下:
1) 母子健康手帳
2) 町発行の母子健康手帳別紙 (14枚の妊婦検査補助券と歯科検診券、乳児検診券がついたもの)
3) 母子健康手帳副読本
4) 県からのサポート冊子
5) その他色々の妊娠・出産に関する冊子・広告
6) 赤ちゃんセミナーの案内
7) 社会福祉協会子育て支援貸し出しサービス案内
8) 出産後の保健師訪問について
9) ガムのサンプル(笑)

私は出産はスイスでになるので、これらのサービスの多くは使用出来ないのですが、なかなか充実した内容に思われます。

40分程説明やお話の後終了。
やっと手に出来ました、母子手帳!

日本で携帯電話レンタル

これが必要な日本人は少ないでしょうけど、比較的低価格で便利なので、私が何度か利用しているものです。

Softbankの海外レンタル
海外レンタルとありますが、国内向けレンタルです。
実は同様の値段のプランが比較的多く、成田空港の到着フロアに並んでいる事を後から知りましたが。。。

携帯電話をレンタルする事も可能ですが、お勧めなのは、SIMカードのレンタル。レンタル料は1日105円。登録手数料が315円かかりますが、それでも安いですね。
難点は通話料が高い事でしょうか。

日本で携帯電話が必要かと言われればそんな事は無いのですが、人と約束が多いと、これがあると便利なようです。
私は携帯電話に慣れていない古い人間なので(?)、携帯電話が無くても待ち合わせ等で問題無いですが、近頃は皆さん携帯が無いと待ち合わせが非常に不安になるそうです。どうしてでしょうねえ。それに、直前まで予定が確定しない事が多かったり。まあ、これに関しては、直前に連絡する私も悪いんですけどね。

2010年9月30日木曜日

初の産婦人科

母子手帳をもらう為に、産婦人科に行く事を決意。
町の産婦人科は2件。1件はごく近所。もう1件は少し遠いが実は私が生まれた産院なのだ。
迷ったが、この少し遠い、少し古い、でも私が生まれた場所へ行ってみる事にした。

産婦人科に行ったのは初めてではないが、この様な目的で行ったのは初めてである。昨日役所で初診の予約は要らないと聞いていたので、保険証だけ持って病院へ。

受付には、『初診の方は健康保険証を提示してください』と書かれていたので、初診である事を告げると、簡単な質問表を渡される。お決まりの質問だが、最後の生理は、という質問。。。ちょっと躊躇った。何故なら、『どうしてこんなに放っておいたの??』と思われるのがちょっと嫌だったのだ。

案の定、聞かれました。
『今までに一度も病院に行っていないのですか??』
早速尿検査。

少し待った後、診察室へ。
HPで見た先生が座っていて、傍の看護婦さんは、ベテラン風のとても優しそうな方だった。生理の日から計算すると、12週3日という事だが、とりあえず検査をして見ましょう、と直ぐに診察台へ。
看護婦さん、私が初めての妊娠と言うことで、丁寧に説明をしてくれる。
消毒の後、超音波検査。
『ちょっとカーテン開けて見てごらん』
の声で、見てみると、モニターには赤ちゃんの姿が。心拍も確認出来、元気ですよ、との先生の言葉。テキパキと写真をカットしてくれて、再び先生との問診。超音波の結果も見立てどおりの12週3日。従い予定日4月11日。
心拍も確認出来ている事から、欲しかった『妊娠証明』も出しましょうね、と言ってくれ、母子手帳を貰ったら検査の為に出来るだけ早く来院する事を告げられる。

その後、別室でベテラン看護婦さんから説明を受ける。
次の検査について、項目と目的と費用と、本当に丁寧に説明してくれるので関心してしまった。その他のサービスについても色々と説明してくれ、最後にカタログ等も貰って終了。

最後に会計。
8000円也。
高い?安い?分からないけど、スイスでの初診は約4万円だと聞くからそれに比べたら自費で8000円は安い、という事だろうか。でも、スイスは全て保険でカバーされるから、スイスで全部かかればただなんだけどね。。。

ちょっと不安だった毎日だけど、赤ちゃんの心拍も確認出来たし、赤ちゃんの姿も見れたし、8000円、高くは無かったな、と思うのでありました。

唯一、パートナーに黙って受診してしまった事、一人だけ先に赤ちゃんの姿を見てしまった事、少し罪悪感。。。

2010年9月29日水曜日

母子手帳がもらえない!

既に12週だというのに、未だ医者にかかっていない私。
でも、今回の日本滞在中に欲しいもの、母子手帳。

ドイツでも母子手帳なるものが存在する。その名も全く同じ、Mutterpass。(Mutter = 母、Pass = 手帳)
しかし、ドイツでは病院に行く事が出来ないままスイスに引越し。スイスでは母子手帳が存在しない。
無くても不自由は無いが、どんなものなのか、興味深々。

町のHPで調べると、母子手帳の交付は毎週水曜日。
早速行ってみました。

すると、、、
『妊娠証明を提出お願いします』
。。。。。
なんですか、それ???!!!
どうやら、この町では、母子手帳の交付には病院から発行される妊娠証明というものが必要らしい。
海外に住んでいる事等事情を説明。海外での妊娠証明は、と問われるが、何せ海外では市販の検査薬で陽性だとそれ以上のテストはしないと聞くから。。。
上司に相談してくれて、待つこと暫し。結果は、交付できません。。。
でも、とても丁寧に、お詫びと病院の説明もしてくれて、日本のお役所は本当にサービスがよい事を実感して帰路についたのでありました。

さて、という事は、母子手帳の為には、まず受診せねばならないという事だ。
躊躇ったのは、費用。噂では1万円とも2万円とも言われる初診料。大した額では無いといえばそうだけど、スイスでちゃんと検診を受けるのに、このたかが手帳、されど手帳の為に、数万円を払う。。。その価値はいかに?

悩ましいところなのである。

2010年9月28日火曜日

滞在許可がおりる

弁護士からの書類を即日提出して、待つ事暫く。
滞在許可待ちのまま、書類提出1週間後にいよいよスイスへ引越し。

シェンゲン条約に基づき、90日はスイスに滞在出来るのだが、滞在許可がいつおりるかは至って不明。不安のまま(?)数日後に日本へ向けて出発してしまった。

そんな日本での週末。
パートナーからSMSが届く。
『移民局から連絡が来ました。滞在許可OK!』

これ以上の詳細は彼から無かったが、帰国次第、引越し先の町の役所で、外国人登録証を申請しに行く事が出来るらしい。書類提出してから2週間。早かったかな。

滞在許可がおりると出来る様になる事:
1) 労働
2) 健康保険への加入

1)は今の私にとってはさほど重要度は低いが、2)は重要である。
スイスは保険加入が義務。(ちなみにドイツは完全なる強制義務ではない)それ以前に、物価の高いスイス、医療費も例外なく高い。健康には自信のある私とは言え、確実に年を重ねている私達、死活問題である(たぶん)。

とりあえず、よかった!
帰国が待ち遠しい。

2010年9月27日月曜日

初めての。。。

この数日で、『妊娠しました』報告が立て続けに続いた私の身の回り。
驚きと共に、不思議な気分になる。
なぜなら、、、
そう、私も妊娠してしまったのである。

してしまった、とは言葉遣いがよろしくないが、私としてはもう少し遅くてもよかったのに、、、というのが実は本音なのだ。しかし、そうも言っていられない年齢になりつつある事は確か。

しかし、色々な事情もあって、未だ病院には行っていない。
勿論、だから誰にも言っていない。
今回の日本滞在でも、『子供は??』の質問を何度か受けたが、さら~っと受け流しておいた。

昔の人はお腹が大きくなって生まれてくるのを自然に待ったものだ、と自分に言い聞かせているが、数えてみれば既に4ヶ月に入ろうとしているらしい。
この事実を先日、友人に告白してしまった。
すると、2児の母の彼女はのけぞりながら、私に病院に行くように説得に入る。確かに、私も気になる事は気になるが。

とりあえず、妊娠が順調かはわからないのですが、準備を開始する事に。
もう一人の打ち明けた友人に連れて行ってもらい、産前産後両用のブラと産前用のショーツを購入。一人ではなんとなく気恥ずかしいが、二人だと大丈夫なものである。心強い、友人よ!
勇気付けられた私は、翌日駅で『下着大バーゲン、(マタニティー同時開催)』の広告を見た。早速それにつられてOデパートの催事場へ。
売り場を見ていると、店員さんに声をかけられる。『何ヶ月ですか?』
恥ずかしいものであるが、答えると、色々と説明をしてくれたのだが、これが正直とても為になった。勿論それらがセールストークである事は、マーケティングをしていた私はよくわかるのだが、それでもそれらの情報は私には大変役立つものであった。
ここでは産前用のブラとショーツ、ガードル、気が早いが産後用のショーツを購入。
9Fに常設のマタニティーコーナーがあるので、そちらも覗いてみてはとのアドバイスに従い、早速9Fへ。ここでも特別セールが行われていて、さりげなく見ていると、ここでも声をかけられた。『赤ちゃんはもういますか?』そして、いろいろと商品の説明をしてくれた。
そしてここでは特にセール品でも無かったが、妊婦帯を購入してしまった。
完全にセールストークに負けた気がしたが、それでもこれでとりあえずの必要品は揃ったと思われる。

これらにかかった費用、約総計25000円。
こうして出費が増えていくのねえ。

ところで、私を病院に行くよう最後まで説得していた友人Rちゃん。
別れ際に、嬉し泣き。。。こんな優しい友人を持って、私は幸せですね。

2010年9月23日木曜日

A380 (Lufthansa)

航空ファンなら誰もが憧れる(という)Air Bus 380。
何が凄いのか分からないが、6月からLufthansaのFRA-NRT線もA380になった事は知っていた。私のメイン路線である。しかし、その後Lufthansaの運賃は値上がり、ANAの方が安いという事態が続いていたので、私は暫くLufthansaとは無縁の生活でありました。

が、今回、初めて乗る事になりました。
事前にWebsiteで座席の数が非常に多い事は把握していたものの、座席の配置が把握できていないので、どの席がBestかが分かりにくい。私のBest Seat は、Bulkheadの窓側。今回、Bulkheadは真ん中しか空いていませんでした。従い中央の通路側を希望。パートナーが心配する『宇宙放射線』の影響が一番少ないのはここらしいから。。。いずれにせよ、2階建てになっていて、Economyは下。という事は、放射線の影響は少ない、筈。
(ちなみにこの件について言及があったのはFinnairのみでした)

総評。
可も無く不可も無し。
機体が新しいのはその通り。これまでSeat TVが無かったFRA-NRT線にSeat TVが付いたのも良し。ただ、それだけなのである。Seatの快適さ等で言えば、申し訳ないがANAの新機体Boeing770-300ER の方が断然優れている。
不可、、、は実はかなりあった。
1) トイレが少ない。
  ほぼ満席、対応するトイレの数が不足していると感じる。
2) 乗り降りに時間がかかる。
  まあ、これもEconomy Classのみの悩みでしょうけど。。。
3) 機体が大きい為、機内温度の差が激しい。
  後方部は暑い!が、私の座った真ん中あたりは寒くて寒くて仕方が無かった。前回迄半袖でも暑かった私が、久し振りにフリースと毛布に包まった。
4) FRAの場合、Gateが遠い。。。
5) Loungeの設備が未だ充分に整っていない。

こんなものでしょうか。
ちなみに帰りのFlightは、古いLHの機体です。。。

2010年9月20日月曜日

ドイツからスイスへ!

いよいよ引越し。
陸続きの引越し、距離にして425km程度だが、それでも国際引越し。

一人で何とか荷造りが終了出来たのは、業者到着した2,3分後。
もともと、この程度の引越し、自分達でトラックを借りて引越しをする予定だったのだが、1週間ちょっと前に、パートナーから違う提案があった。業者を使いたい。
そもそも、トラックを借りるだけでも約500ユーロはかかる。425kmを引越す為に、彼はスイスからドイツへ来て、その後またスイスへ、と約1000kmを走行せねばならない。その為には彼は仕事を休まねばならない。
つまり、まとめると、仕事を休まずに働いて、その分業者に引越しをしてもらった方が『安く上がる』という理論だ。
更に、先日の荷造りでちょっと腰が痛くなったらしく、自分の身の心配もある。

私が反対する理由は無い。唯一、引越しの準備を自分一人でする事と、業者の相手を一人でせねばならない事がほんのちょっとだけ、頭をよぎったが、通関に必要な書類も全て彼が完璧に準備するというので、心配は無いだろう。

そして当日、約束の30分前に到着してしまった業者さん。。。
最初の見積もりでは27箱と申請していた私達、結局箱は50個に。。。
そんな事もあって、収集に関してはちょと業者ともめて、情けない事に私はスイスにいる彼に電話をし、業者と話してもらわねばならなかったり、という事はあったが、無事にドイツにあった荷物は綺麗にものの1時間弱で撤収されて行った。
その後トラックは彼の実家で家具などをPick Upし、スイスへと向かう。

スイスの新居への荷物搬入は翌日3時。
それに合わせて私も彼も新居へ向かう。

しかし。前日、業者から連絡が入る。
『明日10時には到着する』
。。。。。
私達、3時まで居ないんですけど。。。。

結局どこかで時間を潰して2時半頃に新居に到着したらしい。
荷物は小一時間で家に運び込まれた。
これらの費用、1500€。プラスチップ100€程度渡したので、締めて1600€。
多分これでも安い業者さんなんだと思います。

私は初めて見る新居。
スイスらしい緑いっぱいの町。
これからの生活、わくわくしてきました。

2010年9月13日月曜日

スイス滞在許可への道のり その③ 弁護士に会う

滞在許可の申請後、不足書類があるとの連絡がZürichの移民局から届く。
どうも、弁護士に会う必要があるらしい。
弁護士とは、驚いた。アメリカでのビザ更新の時にお世話になったが、確か$3000以上の費用がかかった筈、、、(勿論この時は会社負担だったが)

費用の問題は言っていられない。必要なものは必要なのだ。
早速、弁護士に連絡を取り、緊急でアポイントメントを取り付けたので、早速スイスに出向いて来ました。諸所の事情で、フランス語圏の小さな町にある弁護士事務所に赴く事に。
ドイツ語が公用語のZürich圏だが、Zürichの移民局で、フランス語の書類も受け付けます、との確認を取ったので、安心して赴いたところ、流石はスイス、書類はフランス語とドイツ語の2ヶ国語対応で用意していてくれた。弁護士も秘書も、少しぎこちなさはあるが、ドイツ語を話してくれたので、面接もスムーズに。

まあ、これは面接という程のものではなく、単に申請内容が事実である事を、法の力で更に効力を強める、という目的での書類確認だった。既に用意された書類に目を通して、事実と相違無き事を確認し、その場でパートナーと私と、弁護士のサインをする。所要時間ものの30分。

書類の内容は大した内容ではなく、一番の目的は私たちに子供がいない事を確認するものだと思われる。要は、私たちの滞在許可にぶら下がってくる家族親戚がいない事を、正式に確認する為のものだと思う。物価の高いスイスだけど、スイスに住みたいと希望する人は、今も増えるばかりらしい。

サインの入った書類を早速郵便局に持って行き、配達証明付で移民局に送付。
今回の返事の際に必要とは言われなかったが、一度電話で必要と言われた事のある、私の無犯罪証明書(これは、ドイツで取り寄せた、ドイツでの無犯罪証明)も添付して送付。

さて、次のステップは如何に?

2010年9月6日月曜日

荷造りの週末

スイスへの移住を2週間後に控えた週末。
課題は当然荷造り。
そもそも単身でドイツにやってきて、後から9箱を日本から送ったが、その後なるべく物は買わないようにしてきたから、そんなに大変な荷造り作業になるとは予測はしていなかった。
が、やっぱり私は荷造りが苦手な様である。
小さなアパート、1日あれば十分だ、と考えるOptimistic な私のパートナー。重い腰がやっとあがったのはほぼ午後になってから。。。

よく観察すると、荷造りの仕方が違う。
私は箱に丁寧に隙間無く、効率的に、入れようとする。
が、彼は、とにかく適当に入れて、隙間は紙やタオル等で埋める。
彼のやり方でやると、当然箱が沢山必要となる。

夜中までひたすら荷造りをしたが、結局全ては完了せず。
残りは私の任務となってしまった。。。

さて、今日も荷造りを続けたのだが、残された箱数は3つ。
この箱に残りの全ての荷物を入れねばならない。。。
更に考えながら梱包を続けると、1箱埋めるのに半日くらいかかってしまった。

あと2日で荷造りを終えねばならない。
終わるかなあ、、、、キッチンはまだ全く手をつけてないんだけど。

国を跨いだ引越しも、国内引越しも、そろそろ慣れてきてもいいんだけどねえ。。。

2010年9月4日土曜日

スイス滞在許可への道のり その②

スイスでの少し大きめのアパートがやっと見つかり、いよいよ滞在許可申請が可能になった。
そこで、早速書類を持って、カントンの移民局へ行く。
Zurichの移民局は、市内からトラムで10分程度。
この日は、金曜日と言う事で、Office Hourが午後1時半迄。
移民局に到着すると、窓口に並ぶ人の列が出来ていたが、アメリカなどのそれとは全く比にならない人数。30分位待った後に、私の番になる。

持参したものは:
1) 婚姻証明(ドイツ語、原本)
2) 住居証明(新しいアパートの契約書コピー)
3) 過去3箇所の住居証明 (契約書コピー)
4) 銀行口座残高証明のコピー
5) 過去3ヶ月分の給料明細書のコピー
6) スイスの身分証明書のコピー
7) スイス発行の無犯罪証明書のコピー
8) 申請書

このうち、1) - 7) は、全てスポンサーとなるスイスの滞在許可を持つ彼の書類である。
彼はこれに、カバーレターを用意して私に持たせてくれたのだが、それを読むまでも無く、数点質問される。レター読めば、答えは全部書いてあるのに、、と思いながらも、つたないドイツ語で答える私。書類が全部あるかを確認した後、受理の判子を押して、結果は後日連絡します、との事。
実はこの書類提出は、郵送でも可能だったらしい。

さて、その2週間後、彼に移民局から連絡が入る。
他に必要なものが1点あるとの事。どうやら、2人でスイスに赴いて、弁護士に会わねばならないらしい。。。
やっぱり外国人、非EU人、多少手続きは面倒なようです。

トルコ航空

これまで相当飛行機に乗ってきた私ではありますが、今回のトルコ航空は
初めて。
決定に至った理由は、Star Alliance のメンバーである事、及び安かった事。
このところ、日本往復は1000€が常。5月のFlightは600€だったのに。。
そんな中、トルコ航空、650€程度での往復、となれば、乗ってみない訳にはいかない。
しかし、その事を欧州在住暦が長かった友人に話した途端、「危ないからやめた方が、、、」との警告が。もう遅い。乗るしかないのだ。

Istanbul経由での日本行き。
総評すれば、Istanbul - NRT のFlightは悪くは無い。8月と9月で、Entertainment Programが全く同じだった事と1時間程の遅れがあった事だけがちょっとマイナスだけど、Economyでもスリッパやアメニティーセットが配られたのは、ちょっと驚いた。
更に、私を驚かせたのは、Istanbulからの乗り継ぎが同日以内に出来ない場合、トルコ航空が、『Transit Hotel』という事で、市内のホテルを用意してくれるのだ。手続きも非常にスムーズだし、ホテルも小奇麗だったし、満足です。

ただし、ドイツ国内とIstanbulを結ぶ便は、最悪だった。
① 乗客がうるさい。
インドや中東を渡り歩く友人に言わせれば、こんなのたいした事は無いそうだが、確かにそうだけど、飛行機の搭乗マナーがなっていない事にカチンと来た私。シートベルト着用サインが消える前に立って荷物出しちゃう人が多いのは、他の国でもありがちだけど、その後。普通飛行機では、前の人から降ります。が、これを待てない人が多い事。。。後ろのトルコ人、私の背中を押す。無視していたら、『Excuse me!! Go!!!』と怒鳴られる。冷静に言い返しましたけど。『前をご覧なさい、降りる人達が前にいるでしょう?』
② トイレが汚い。
③ 遅れる事当たり前?
ただでさえ出発が遅れた帰りの便。機体が動き出したその瞬間、私の通路挟んで隣に座っていた女性が、CA呼び出しボタンを立て続けに押して騒ぎ出した。それを受けて、引き返そうと動き出した機体。すると、大きな揺れと共に、止まった。なんと、なんと、横に止まっていたトラックに衝突したのである! エンジン部分がトラックに食い込んで、機体からは液体漏れが。。。
そのまま暫く待たされた後の判断は、機体変更。
バスでターミナルへ引き返し、再び登場を待つ。結局3時間以上の遅れの後出発。まあ、空の事故でなくて良かったけど、、一応衝突事故だものね。

さて、これを受けて、次回トルコ航空を利用するかはわかりませんが、
Air Chinaよりはましかなあ、という私の評価でした。

2010年8月23日月曜日

スイスの携帯電話

スイス移住計画が本格化してきた事もあり、スイス滞在頻度が増えてきそうな私。
生活必需品のひとつ、携帯電話を入手する事にしました。
勿論、ドイツの携帯電話はスイスでも使用可能ですが、料金が気になるし、善は急げという事で、早速Swisscom の店舗へ駆け込みました。

Swisscomの他にも、スイスには主に6社程のProviderがあるようですが、日本同様、同Provider間の通話には割引がある、という事で、こちらを選びました。
12ヶ月契約の通常の契約でも良いのですが、携帯使用頻度が限りなく低い私には、プリペイドで十分。Swisscomの店舗で、Prepaid SIM を下さい、と言うだけの簡単さ。
購入の際は日本同様、身分証明書が必要で、住所などを登録しますが、この登録住所、ホテルでもどこでも大丈夫みたいです。

購入したPrepaid SIM カード
料金は19.90CHF(1700円位)。これを手持ちの電話に入れ替えて使用可能となります。
購入の際に、ご丁寧にも通話料金の説明がありました。
固定電話又はSwisscomの携帯への通話は、1回0.80CHF(70円位)。この1回、というのが良くわからなかったのですが、後で聞いたところ、1回1時間の通話につき、との事。
1分話しても1時間話しても料金は同じ0.80CHF。沢山話したほうがお得ですね!
(ちなみにドイツのPrepaid 携帯は、確か1分で0.10EUR(12円位)。短時間の通話ならドイツの方が安いですが、長電話はスイスですね。


2010年8月18日水曜日

フランス語圏の町、Vevey

学校終了後、電車に飛び乗り、いざスイスへ。
単身赴任中のパートナーの滞在する町を訪問する事になった今週後半。
電車乗り換え5回、所要時間6時間半、という長旅に、到着した深夜にはクタクタ。
結婚前の長距離恋愛中、何度も通った街であるが、かれこれ1年数ヶ月ぶり、夏の訪問は初めて。

町自体が、レマン湖の畔にあるこの町、Vevey。
滞在しているHotel も、湖の畔。部屋の窓からはアルプスの山々と湖が見える。
ちょっとしたVacation気分が楽しめるではないか。

朝食後、ゆっくりした後、街へ。
そこから湖に沿って散歩。途中湖畔に腰を下ろし、昼食をとりながら読書。
また少し散歩し、景色の良い波打ち際で再び読書。
読書なんて、Fitness Gymや電車の中等、ながら読み以外は考えられなかった私だったが、人間やろうと思えば出来るものだ。

Vevey は本当に小さな町で、街の中心部は30分もあれば全部歩けてしまうほど。
こんな小さな町に、かの有名な食品メーカー、Nestleの本社がある。今でこそ利益を追求する企業だが、創業は、19世紀後半、クリミア戦争後の不況の中で、高い乳幼児の死亡率に心を痛めた薬剤師、アンリ・ネスレが、母乳の代替となる乳幼児用シリアルを開発したことから始まったそう。その時に構えた小さなOfficeの場所に、今もNestleの本社はある。
私が日本で働いていた会社も、創業当時の小さな工場が発展して大きな本社ビル群となった。創業当時の先人達の思いを感じるその場所は、何となく心地の良いものであったが、残念ながら数年前にその地を離れ、別の場所に本社が移ってしまった。

話が逸れてしまったが、この町が知られるもうひとつの理由。
チャップリンが余生を過ごした町だから。


こうした美しい景色は人々の感性を磨くのか、街のあちらこちらに、様々なアートが見られる。なかなか遊び心のあるものが多い。

少し曇り空の今日ですが、窓から入り込む冷たい空気が心地良い、そんな一日です。

2010年8月16日月曜日

東ドイツの結婚式

週末はパートナーの親友の結婚式。
旧東ドイツのDresdenに行ってまいりました。
ドイツの結婚式に出席するのは2回目。
1年前にStandesamt(戸籍課)での結婚式を済ませている彼ら、今回のは教会での式でした。挙式開始は午後2時。朝に到着した私たち、彼らの家で一緒に朝食をとった後、ホテルに移動、着替えて教会へ。挙式は父親に手を取られてバージンロードを歩くものではなく、2人で入場。
M君のご両親が涙を浮かべているのを見て、私までもらい泣きしてしまいました。近頃涙腺がゆるい私です。
挙式の後は、Party会場でもあるゲストハウスに移動。
Partyは素敵な会場に変身した倉庫にて。ドイツの結婚式のパーティー、終わりの時間が決まっていません。結局このPartyも、朝の3時過ぎまで続きました。(Partyの時に、Munchenから参加していた人と話しましたが、バイエルン地方では、大抵Partyの終わりの時間が決まっているそうです。結婚式、地域によってちょっと違いがあるようです)

このParty、変わっていたところは、とにかく余興が盛りだくさんだったこと。しかも、余興の多くは家族が大奮闘。新婦であるVちゃんの一家は、音楽家一家で、DJが途中何度か、「僕の仕事が無いようですね。。帰ったほうがいいかな」なんて冗談を言うくらい。新郎のM君側では、妹がダンスがお得意で、お母さんと妹とのダンスのショーあり。M君、ダンスが趣味だった事もあり、新郎新婦のFirst Danceも何曲か披露。私がもっと素敵だな、と思ったのは、M君と妹との兄弟でのダンス。2人とも上手だし、見ていて気持ちが良かったし、何よりも兄妹仲が良いのは、ちょっと羨ましかった。

3時頃から始まったPartyは、まずケーキと珈琲から。
食事が運ばれて来たのは、8時近かったでしょうか。おかげでお腹ペコペコ。
食事は典型的なドイツ料理のBuffetでした。

一通りの余興が終わった深夜からは、ダンスタイム。
私は結局午前1時半位にはリタイアさせて頂きました。
体力的にはまだまだいけるんだけど、ドイツ語に集中して丸一日過ごすと、神経が疲れるのです。外は騒がしいと言うのに、ベッドに入るとあっという間に眠りついてしまいました。

結婚式は、やっぱりいいものですね。

2010年8月13日金曜日

ぎっくり腰、再び。

またしてもやってしまいました、ぎっくり腰。
忘れた頃にやってくるのですね、やっぱり。
前回の痛みにさすがに懲りて、近頃は運動の後、しっかりストレッチをする様心がけてはいたのだが、足りなかったか。失敗。
確かにジムで、側筋の運動をしていた時に、ちょっと変だとは思ったのだ。。。
更に首を前に倒すと、脊椎の痛いこと痛いこと。
これらが兆候だったのですね。

幸い、前回の様に少しも動けない状況ではなく、前回の3日目位の痛みでしょうか。
寝返りは打てないけど、立って歩く分には歩ける。
一番辛かったのは、学校で、硬いすわり心地の悪い椅子に座っていた時。

今日は大分良くなりました。
調子にのって、ジムに行きたい衝動に駆られましたが、、、自制、自制。
でも、今晩は寝台車で移動。
腰、大丈夫かしら。。。

2010年8月3日火曜日

家探し

先月末、突如スイス移住が決定した私達。
突如と言っても、いずれはそのつもりではいたのですが、何と来週から! 
準備期間1週間。。。まずすべき事は、家探し。
今も彼がスイスに部屋を借りてはいるのだが、その広さでは私の滞在許可がおりない事を数ヶ月前に確認済み。

インターネットの時代。早速スイスの物件を検索。
使ったSiteはHomegateというサイト。
部屋数、広さ、金額等の希望を入力して検索するが、何せ土地勘が無いので一苦労。頼りは私より多少知識があるであろう彼のみ。

私達が探している70㎡+で3部屋の条件での相場は、なんと、、、
2000CHF+(約19万円)。高い!
そう、スイス、何事も高いのである。

忙しい彼に代わって、よさそうな物件を10件ほどPick Up。
そこから数件、コンタクトを取り、早速月曜日に3件物件を見に行ったというから、時々彼の行動力には感心させられる。

早速夜、報告会。便利になったものだ、Skypeよ。
やはり100%満足な物件はなかなかないもので、もう少し要検討。
彼は来週からスイスに単身赴任。私はとりあえずドイツに残る。
まずは家を見つけないとね。

日本に4日間程、一時帰国中。
何もこんな真夏の4日間を選ばずとも、、、という声はごもっとも。
想像していたが、全く耐えられないこの暑さ。

前回の作戦、暑い昼間は寝て、夜に活動する、を実行しようと試んだが、、、夜も暑い!
昼の暑さ、眠れません。
しかし、昼の暑さ、何をする気にもなれず、結局昼も夜も比較的涼しいところを求めては寝る。起きて、また寝る。の繰り返し。全く生産性ゼロ!
唯一行こうと思っていたVolleyballでさえ、暑さの為断念。
私は昔から熱射病や過喚起症候群で倒れる事が多かったので、この疲れが溜まった中行くのは自殺行為、と判断。

つくづく、日本を離れてよかった、と思います。。。

2010年7月31日土曜日

Boeing 777-300ER

夏場のAirfareは高い。ユーロ安傾向でなければ、たまったものではないが、それでもやはり日本往復1000€は下らない。
今回は久々の日系、ANA。6月からFRA-NRT便は、Lufthansaがエアバスを就航させた事もあってか、何故かANAの運賃がLufthansaを下回る事が多くなった模様。でも、実はANAもエアバスでは無いが、6月から新機体を就航させている。今回は初乗りで、秘かに楽しみにしていたのだ。

24時間前にInternetでCheck In。席は希望の通路側。
そして当日、1時間半前に空港到着、First Class / Gold Counterで手続き。頑張ってドイツ語を話す私に、係員は英語で応えるのだ。。。しくしく。。。でも、一瞬席をはずして戻ってからは、何故かドイツ語に変更。
空港で買うものも見るものも無いので、ゲート近くのラウンジへ。
そして搭乗時刻にゲートへ。
機内持ち込み荷物は少なかったが、それでも真っ先にBoarding。さすが新機体。綺麗である。
乗り込んだ席の斜め横に金髪のCAがいたので、一言声をかける。
『立派な機体ですねえ。新しいし。』(← ドイツ語)
すると、、、
『ごめんなさい、私ドイツ語話せないのです』(← 英語)
えっ!!! という驚きを他所に、英語で会話再生。
その後、ちょっとして、興味津々で話しかけてみた。
『ベースは何処ですか?』
彼女はロンドンベースのCAだった。
私の固定観念かもしれないが、普通ドイツ線だったらドイツ語話すCA配置しないか??? それとも、ドイツ人は英語話すから不必要?? 謎である。(でも、機長のAnnouncementはドイツが最初だった)

すべてに足置きが配置され、モニターも大きく、何よりもシートピッチが3インチ?広くなっているこの機体。快適な空の旅になりそうである。
すると、別の金髪のCAがやってきて、私の前に止まる。
『Mrs. XXXX?』
『ビジネスクラスにアップグレードしました』

暫くこんな事無かったし、あるわけが無いと思っていたから、驚きと共に喜び倍増!
こちらのビジネスクラス、たいしたものでした。今まで乗っていたビジネスクラスがなんだったんだろう、と思える位。
11時間の空の旅、あっという間でした。

いけないいけない、これに慣れると、格安Airlineに乗る時の衝撃が大きすぎる。
次回の旅は、トルコ航空。。。
これまた初めてなのだが、知人曰く、『えー!!! やめたほうがいいですよ!』
う。。。。どうか落ちませんように。

2010年7月24日土曜日

ドイツ語テスト (口頭質問)

DTZ の後半戦は口頭質問。
11時開始につき、15分前に学校に到着すると、待合室は10人を超える人達が。。。
ドイツにあるまじき事だが(?)、かなり試験が押していた。
結局私の番が来たのはちょうど1時間後の12時。

受験者2人1組で試験が行われるが、私のパートナーはクラスで1番仲良しかつ優秀なVちゃん。
彼女はドイツ生まれのドイツ人。幼少の頃南米に移り住み18歳の今迄International School で育った為に、ドイツに来てドイツ語を学んでいるのだった。が、勿論彼女のドイツ語は我々の中でピカイチ。やはり言語に関する脳が3.8歳までに構築される、というのはそのとおりかも。

久しぶりにちょっと緊張。
試験官は2名。席に着くと早速紙を渡され、
「自己紹介して下さい」
昨日パートナーを捕まえて練習した項目がほぼカバーされていた為、無難に終了。
試験官からの質問は、
「出身地の町は何処にありますか」
「どれくらい大きい町ですか」
という当たり障りの無い質問が。
紙をVちゃんに渡して、次はVちゃん。問題無くスラスラ。
「何故今になってこのテストを受けるんですか?」

自己紹介の後は、私の苦手とする写真を見て状況説明をするというもの。
まずVちゃんに紙が渡される。それをVちゃんが説明。試験官が2、3質問する。
そして私に別の紙が渡される。とりあえず説明するが。。。出来は。。。
「その渡している紙は何だと思いますか」
「うーん、、、よくわかりません。が、たぶん処方箋だと思います。が、私はドイツでは医者にかかった事が無いので確かでは無いです」
「日本ではどうなの?」
「日本では病院に言って、そこで薬ももらえます。なので処方箋はありません。」
「まず病院に行くのですか?」
「はい。ドイツでは、Hausarzt にまず行くと聞いていますが、日本では、予約が無くてもそのまま病院に行って診察を受け、薬もそこで処方してもらえます。以前、私はアメリカに住んでいましたが、そこでは医者では薬の処方箋が渡され、それをもって薬局に行くので、きっとこの写真の紙も同様に、処方箋なのかと思いました。」
と、無理やり(?)写真と関連付ける。。。
散々練習した、「この写真のテーマは、、、」という一言をすっかり忘れてしまった。

あっさりと最後の設問へ。
これはVちゃんと一緒に会話をするもの。AとBという紙が渡されて、まず読む。
そこに問題が書かれているのだが、読み終わった事を確認すると、試験官が、
「ではFrau K-S、始めてください」
えー、、、、困った。なぜなら、どう始めてよいかわからなかったから。
簡単に、「どうしたの?」ではじめりゃ良かった、と思ったのはテスト終了後。
ただ、最初のとっかかりに迷った以外は、普通に会話がすすんで、1、2つコメディーの様な展開に試験官爆笑。ただ、どちらかというとVちゃんがよく喋っていたから私の評価は如何に。。。
課題にはまだ4つ程のポイントが残されていたが、
「はい、結構です」
え???? まだ全然喋っていないんですけど。。。

ということで、15分もかからず試験はあっけなく終了。
うーん、、、どのような基準で採点されるかわかりませんが、結果が出るのは4週間後。

とりあえず、テストは終了したけど、私のドイツ語はまだまだこれから。
再び頑張ります。

2010年7月23日金曜日

ドイツ語のテスト (筆記)

Integrationskurs の締めくくりは、DTZ というドイツ語のテストの受験。
DTZ とは、Deutsch-Test für Zuwanderer 即ち、移民の為のドイツ語テスト、と言ったところ。
筆記と口頭質問から成立つテストで、結果により A2 又は B1 がもらえるとの事。私はドイツに来て2ヶ月で既にA2 の証明書を取得しているので、今回 B1 が受からなかったら、しゃれにもならないのだが、、、

今日は筆記部分のみのテスト。口頭試問は明日。筆記の構成は:
1. 聴き取り・読解
2. 作文
B1 に合格するには、この2つのうち最低1つがB1である事が必須。
(更に、口頭試問もB1必須。筆記がB1でも、口頭がA2と判断されると、総合結果はA2。そう、語学は話して何ぼのものなのだ)

今週から通い出した学校で、昨日、たまたま試しのテストがあったので、私には良い練習となりました。練習の結果は1. に関しては45問中45問の全問正解! 作文は採点の基準が不明なのですが、それなりに書けている筈。
という事で、気を良くしてはいたが、念の為、昨夜は久し振りにお勉強。高校時代の試験勉強を思い出す。パートナーは、「そんな前日にやってもしょうがない。学校での試験も、いつも前日だったの??」と飽きれられたが、そう、私はそうして試験を乗り越えた人間。

それでも少し緊張して(?)臨んだ試験。
聴き取りは苦手なので、全力集中して取組んだが、2問程、後からあれ? と思ったものが。。。
続いて読解。50分の試験時間だが、これまた20分程度で終了。
これが驚くほど簡単だった。。。きっと全問正解だろう。

最後の作文。
驚く事に、以前授業で練習した内容と同じものだった。。。
しまった、せめてもう一度読み返しておくんだったなあ、とは思いましたが、書いた内容は全てのポイントを網羅したし、問題は無いと思う。唯一、もう少し難しい言い回しを使えば良かったかなあ、と後から思ったが、後の祭り。手書きは、後から直すのが困難だからね、、、

ともかく、筆記は問題なく B1 判定でしょう。
問題は、明日の口頭試験。健闘を祈る! (これをドイツ語では、drücken die Daumen と言うんだって)

2010年7月20日火曜日

語学学校 - Integrationskurs 3校目

45時間のOrientierungskursを終了した私。
残るは語学テストのみで、一応このIntegrationskursは終了となる。

私も学校はそろそろ終わりでいいかな、と思ってはいたものの、いざ1週間7日家にいるというのはやはり健康的ではない、という意見が強まり、再び語学学校に通うことを決意。
Integrationskurs、本来は600時間の語学コースプラス45分のドイツに関する知識で成り立つ。私は語学コースを200時間受講したから、400時間分は、浮いているのである。
勿論、一度とったコースを再履修するのは、正直Out of Questionである。
が、安いのである、このコース。1ヶ月で100ユーロ。
以前通った別の学校を検討したが、夏季休暇中という事もあり、こちらは1ヶ月280ユーロ。
結局私は100ユーロのIntegrationskursの最終クラスを再度履修する事にしたのである。
(実は、一度とったコースの再履修が認められているのか否か、疑問なのだが、、、)
ただ、同じ教科書を再び学ぶのではつまらない。
従い、以前テストを受けていた別の学校を訪ねる。
幸い、翌日からのコースに空席があり、無事に新しい語学学校への入学(?)とあいなりました。

この学校、日本にもあるので、知る人は知ると思いますが、有名な学校だけに、コースの人数も非常に多い。約20人はいるでしょうか。
今回の特徴は、スペイン語圏に支配されている事。
これは、学校やクラスによって、様々で面白い点であるが、今回のこのクラス、スペイン語が飛び交う毎日。
一番多いのがコロンビア出身。その他、コスタリカ、キューバ、スペイン等のスペイン語圏人口が多くを占める。
2番目に多いのは、日本人(2人。はい、私もです)、アフガニスタン人2人。
その他は一人ずつですが、なんたってラテン系が主流のこのクラス、明るい(= うるさい)。
語学レベルはさておき、とにかく皆さんしゃべるしゃべる。
これこそ私が望む環境!

と、まあレベルはちょっと低いコースですが、私には良いクラスとなりそう。

とりあえず2日が終了しました。先生は2人ですが、いわゆるドイツ人らしいBlack Humorが冴えてる先生。
週に3日、楽しみができました。

2010年7月14日水曜日

久々の中国 (Air China)

この暑い中だというのに、日本訪問した私。
実家の最寄の空港からだと、どうしてもドイツ迄は経由便になる。
行きは名古屋を経由。帰りは、、、北京経由。そう、今回は初のAir Chinaに搭乗。

昔は日本より頻繁に中国に出張で通ったものだったが、日本に戻ってからの2年間は、中国出張は殆ど数える程しかなかった。従い、久々の中国。飛行機の中、とは言っても、やはりここは異国空間。Air China の飛行機の中は中国なのだ。

これまでの中国への旅では、Air China を使用した事は無かった。理由は中国駐在の同僚からNGが出されていたから。中国のAirlineは、いざという時の保障が殆ど無いので避けるべき、という見解。
しかし今回、約200ユーロを節約し、更にはAir ChinaがStar Allianceである事から、このFlightに決定。

結論。
もう乗りたくない。
英語が通じないのは、まあ10歩譲って仕方ないとしよう。
食事や飲み物のSelectionが悪いのも、仕方ないとしよう。
だが、汚いトイレ、壊れたトイレ、は許せない!
トイレに行く度、なるべく綺麗なトイレを求めてキャビン内を歩き回る私。
それでもどうしようもない状態のトイレを綺麗にしてください、とCAに言う事2度。
(ちなみにこれも通じず一苦労。。。)

あとはこれもしょうがないか、と許容範囲だが、 担当CA、私が中国語を話さない事をすぐ忘れるらしく、来るたびに中国語で話しかけ、「わかりません」と言われてハッとする、を繰り替えす。
仮にもサービス業。このくらいの事は覚えた対応をすべきでは。。。それとも中国にサービスを期待するのが間違い?

まあそんなAir Chinaでしたが、唯一すばらしかったのは、Priority Tagのついた荷物2個が、本当に真っ先に出てきた事。実はこれ、当たり前の様でなかなか今まで無かった経験。
。。。と喜んだのはつかの間。「丁寧に扱ってください」タグが着いていたにもかかわらず、スーツケース、壊れていた。。。

今回、北京経由だったのですが、なんとこの便、なんちゃって経由便で、実は上海で一度乗り継ぐ便だったのです。
つまり、上海で一度中国への入国手続きをして出国手続きをする。
パスポートの残りページが少ない私のパスポートに余計なスタンプが押される。。。
今回は空港だけでしたが、上海と北京、やっぱり中国のにおいがしました。
懐かしいようななんともいえない旅の一面でした。

2010年6月24日木曜日

Photobook

いつもの様に郵便受けを覗くと、いつもと違うものが入っていました。
普通は広告類、請求書の類と、DVD くらいしかないのですが、小さな段ボール箱が。

中身はPhotobook。
私達の日本での結婚式・パーティーの写真を可愛らしい本にしてくれたもので、日本の大切なお友達からでした。まさか、こんなSurpriseがあるとは、全然予期していなかったので、驚きと喜び倍増。
彼女は元々は昔の会社の後輩ですが、私のイギリス滞在中など、イギリス生活の先輩として色々と手助けをしてくれたり、相談にのってくれたりしてくれました。不思議と彼女には色々な事を相談出来たものです。

日本でのパーティーは、子育て奮闘中の忙しい中出席してくれました。
今も、子育てに加えて色々忙しい時期なのに、わざわざ写真を選んで、本にして、海外まで発送してくれたんだなあ、と思うと、彼女の温かい素敵な心遣いを、本当に嬉しく思いました。

仕事を辞めてからというもの、人の心遣いや優しさに少しだけ敏感になった気がします。 こうした彼女の様な心遣いを、きっと以前も沢山頂いていたに違いありませんが、自分の心にゆとりが無いとそうした優しさにちゃんと反応できないのかも。
この感謝の気持ち、どう表現出来るか、ありがとう!の言葉だけでは足りない気もするけど、いつか私が受けた優しさや心遣いを、多くの人に向けて発信出来ればいいな。と、そう思わせてくれる様な機会を与えてくれた、友人に感謝!

Photobook、大切にします!ありがとう!

2010年6月21日月曜日

姓の変更届

ドイツの方式で結婚した場合、ドイツでは姓の選択は3種類可能です:
① 相手の苗字、または自分の苗字に変える(夫婦同姓)
② 相手の苗字と、自分の苗字、それぞれを保持する(夫婦別姓)
③ 一方が複合姓(Double Name)に変える(夫婦別姓)

私は③の方法をとった為に、日本での姓とドイツでの姓が異なるのが現状。
不便は無いと言えば無いのだけど、現在複合姓での身分証明書が無いのが難点。
そこで、ようやく、日本領事館でパスポートへの苗字の追記を申請してきました。

必要書類:
① パスポート
② 戸籍謄本1通 (→ 新たに私が筆頭者となったもの)
③ 婚姻証明又は姓変更証明(私は後者のコピーを提出)

これらを持って、領事館に行って、渡される書類を2通記入します。
① 旅券の変更・訂正申請書
② 姓の併記申請書

すべて提出し、3日後に7ユーロを持ってパスポートを受け取りに行きます。

役所によっては、複合姓の括弧記載を受け付けず、配偶者の苗字のみを括弧書きにする場合も多いと聞きましたが、ドイツは複合姓が珍しくない事から、すんなりと、複合姓の追記が可能でした。
31文字迄で記入できるそうですが、私の苗字も彼の苗字もとても短い為、ぜんぜん心配は要りませんでしたね。

これを受け取って、婚姻にまつわる諸手続き、一通り終了です。

2010年6月10日木曜日

ドイツ人じゃないドイツ人

始まってすぐに突然休講になったOrientierungskurs。
今日は2日目の授業。生徒は3人。相変わらずやる気の無いクラスである。
ちらと目にした他のクラス、Level 6の教科書を持っていたのだが、
人数も多く、生徒にもやる気を感じる。。。楽しそう。 私も運が悪かったか?
まあ、私のクラス、他の生徒がどうであれ、少人数のクラスであることは、質問好きの私には嬉しい。

『Zur Orientierung』という専用の教科書を使っているのだが、なかなかTimelyに改訂されていると見えて、載っている写真は現在の政府議員たち。今日のテーマは、『政治とデモクラシー』。タイトルだけ見ると、大学の講義の様だが、内容はとても簡単。

ドイツについて記された文章があり、それぞれ、正しいか否かを答えるという問題があったのだが、そこに一つ、奇妙な文章があった:

『ドイツ人でないドイツ人は選挙権を持たない』
 原文ではこう:
『Die nichtdeutschen Buerger duerfen an keiner Wahl teilnehmen』

実はこれ、私はこう解釈した:
『ドイツ人でない市民は、選挙権を持たない』

Buerger = 市民 だから。それで私の回答は当然、『正しい』。
しかし!!!
答えは、『正しくない』だったのだ。
なぜならば、この文章の解釈は、前述の『ドイツ人でないドイツ人は選挙権を持たない』で、ドイツ人であるドイツ人でもドイツ人じゃないドイツ人でも、ドイツ人である限りは選挙権を持つからである、というもの。

はあ~???!!!

ここで黙ってはいない私。『ドイツ人じゃないドイツ人の定義がおかしい。
ドイツ人である限りドイツ人だし、ドイツ人でなければ市民ではない筈』
しかし、だ。『元々ドイツ人で無かった人がドイツ人になった場合、その人は、duetschen Buerger では無く、nichtsduetschen Buerger だ、というのだ。

教科書の意図するところと全く外れているのだが、私にはとても興味深い論点で、この点についてひたすら先生との議論になった。(他の生徒は暇そうだった、、、すみません)そもそも、ドイツ人に帰化した時に、その人は『Buerger』となり、『ドイツ人』となる故、ドイツ人じゃないドイツ人、とドイツ人であるドイツ人、と分ける事自体、不思議だと私は思うのだ。
が、先生はそう思わないらしい。

確かに、英語にも『Naturalized Citizen』、日本語も『帰化した日本人』等の言い方はあるが、一度国民になったら、法の上では、全て『アメリカ人』『日本人』ではないだろうか。少なくとも、こうしたテーマを扱う教科書に二つを分けて記す事は、まず無いだろう。

何ゆえに、こうした質問が成り立つのか。
かなり興味深い。もしかすると、帰化した国民と生まれながらにしての国民では、国民としての権利が異なる国が、あるのかもしれない。となるとこの質問は理に叶う。

さて、調べてみよう。

2010年6月7日月曜日

Orientierungskurs

Integrationskurs もようやく語学学校部分が終了し、今日からOrientierungskurs 開始。
ドイツの政治・歴史・文化についての45時間の授業で、語学の600時間分の終了後に受けるもの。実は語学学校はかなり簡単で、試験の練習ばかりで退屈になって来ていたので、このドイツ語で受ける語学以外の授業に期待を膨らませていた私。勿論、学校で習わなくても、自分で勉強する事も可能だが、私の目的はドイツ語を使う事でもある為、積極的に参加したいところ。

1日目の今日は、OrientierungskursのOrientierungといったところだろうか。基本的な ドイツに関するQuizを通しての序盤。生活に必要な知識一般。
幸いな事に、本日の生徒は3人だったので、質問し放題。

明日から始まる第一章は、政治・権利にまつわる事から。

2010年4月1日木曜日

ぎっくり腰

身体の頑丈さには自信のある私だが、突如襲ってくる怪我の類は例外である。ぎっくり腰も、何故起こるのか、いつ起こるのか分からないが、何度か経験済み。そのぎっくり腰が、また私を襲った。
が、今回のぎっくり腰、今までのぎっくり腰は、Warm Upだったのか、と思わせるような酷い痛みで、ちょっと動くだけでも激痛が走る。床に横たわったは良いが、床は冷たいし堅いし、、、でも、ベットに上がるなんて、到底出来ないのだ。動けない。ちょっとでも動けば激痛。

数時間後、最悪の事態に。トイレに行きたくなったのだ。立てない。歩けない。動けない。四つんばいにもなれない。が、行かねばならない。
床を一歩一歩這いずりながらトイレへ移動。わずか5メートルあるかないかの距離なのに、トイレにたどり着くのに40分以上かかった。そこからトイレに座るのに30分はかかっただろう。その間悲鳴をあげる事数十回。

まあ、そんな感じでひどい一日だったのだが、その時に思った事:
1) 赤ちゃんの気持ちが分かる様な気がした
2) 出産の痛みとどっちが痛いんだろう

1) とにかく、何を聞かれても、話しかけられても、ちゃんと答えられないのだ。伝えられないとその分ひたすら泣きたくなる。泣いて意思を伝えようとする赤ちゃんの気持ちが、よーく分かった気がする。今ならきっと良い母親になれるかもしれない。。。(←単純)

2) とにかく言い表せないほど痛い。隣人は、一体何事だ、と思っただろう。
これがアメリカだったら、きっと警察に通報されていたに違いない。

二日目には何とかベッドに這い上がる事に成功。冷たい床から開放された。

三日目。何と歩けるではないか!!! これには驚いた。あの二日前、全く動けなかったところから、何もせずにここまで回復するとは。正に奇跡。人間の治癒能力はどんな薬にも優るのではないだろうか。

歩けるのがとっても嬉しくて、ちょっと調子にのった私は、掃除、片付け、
買物、と張り切ってしまった。。。すると、、あ、ちょっと痛い。。。
もう少し安静ですね。

2010年3月17日水曜日

語学学校 - Integrationskurs (その3)

待ちに待った(?)学校が始まりました。今月で3校目の挑戦です。
早めに登校、登録を済ませ、教室へ案内されると、、、少し年配の女性が既に教室に。はい、先生でした。

全部で5人と聞いていたクラス。結局は瞬間7人になったものの、それでも今までが10人以上の大クラスだったので、小規模クラス。このクラスはレベルでB1に当たるのですが、他の学校のB1クラスに比べて、多少レベルが低い気が。。。なのに、生徒の多くは9年とか7年とかのドイツ在住歴。だんだんと悟ったのですが、やはり『Integrationskurs』、移民の為のコース。母国でちゃんとした教育を受けていない人たちも多いのです。

コースのレベルは低すぎるのですが、話すのが苦手な私には、少人数で自分が話す機会が多い方がいい、と判断。このクラスで暫く頑張る事に決めました。ただ、先生は、私がほぼ全て理解している、又はすぐに理解してしまう事を察し、何度も何度も、『簡単すぎる?』『退屈しない?』と心配してくれるのがちょっと申し訳ない。

2010年3月11日木曜日

語学学校 - Integrationskurs (その2)

1日で退学した某学校の代わりを探そうと、今度は市内にある某語学学校へ。情報をもらおうと受付に行くと、『次のAppointment は来週水曜日になります』という事で、改めて行って来ました。

これまでの2校とは異なり、受付で要件を言うと『7番の部屋にどうぞ』。
7番の部屋に行ってみると、なんと私だけでは無く、約8人位の人が座って待っているのです。 きっとここは訪ねて来る人が多いのですね。効率的にまとめて説明&テストを行うのですね。
Integrationskurs とは何かの説明の後に、テスト開始。
前回も受けたので、と思ったが、このテスト、やはり数種類あるらしく、前回のものとは異なっていました。30分の制限時間、なんと今回は全部終わりませんでした!(が、私は昔からテストは白紙で出さない主義なので、とりあえず最後にほぼ全部埋めましたが)
その後口頭面接&カウンセリングが一人ずつあるので、順番待ち。
隣に座っていた、コロンビア人の女性と色々話し、楽しい時間つぶしになりました。彼女はドイツに来て8年(!)、既にB2の証明書も持っているという。そう、Integrationskurs とは、必ずしも移民の為だけではなく、いわゆる労働局の様なところでも紹介されるものだったのですね。確かに私以外の人の多くは、失業中でその間のスキルアップで語学学校を紹介されている様でした。

さて、45分位待たされた後に、やっと私の番。
簡単なおしゃべりの後、テストの採点。途中で、『この感じではあなたにふさわしいクラスは無いかもしれないわ。。。』そして今回も判定はレベル6。つまり最後の100時間です。
これは予期せぬ事だったらしく、『通常レベル1、又はレベル4から始まる人が大半で、レベル6からという人は珍しい』そうで、要はその為に席が無い!
『次のレベル6のクラスは、、、7月だわ。。。。』
ええええーーー!!!!
さすがに7月迄は待てません。色々案を試行錯誤しましたが、結局、Waiting Listに名前を載せて、並行して別の学校を探す事にしました。

ちなみに、このIntegrationskurs、本当に色々な人がいます。

今回の不思議さん(?)は、スリ・ランカの女性。既に600時間を終えて、A2の証明書を持っているらしく、だから今回はレベル4から始めたい、との事。これをとにかく最初から最後迄主張し続け、テストを受けるのを拒否。それでもテストを受けたのだが、面接を待つ間、何故か私のところに来て愚痴と説明。『私はA2を持っている。今日はテストだなんて聞いてない。等等等。。。』これを4回くらい繰り返された。担当の人も最後にはちょっと起こり気味で、『あなたがA2を持っている事は私には全く興味が無い。レベル4から受けたい?テストを採点してみないと分からないけど、ぱっと見た感じでは、殆ど白紙でどう見てもレベル1か2だわ!』
確かに、皆さんよく喋るんです。はるかに私よりも上手に喋っている気がするのに、筆記は出来ないんですね。ほぼ最後迄回答出来たのは私だけだった様です。

という事で、今回のこの学校、街の中心部にあって雰囲気も良さそうでしたが、残念。
とりあえず来週から、もうひとつの学校に行ってみます。

2010年3月9日火曜日

誕生日

今日は彼のお誕生日。
前回の私の誕生日はそれはそれは素敵なサプライズ企画をプレゼントして
頂いたのですが、今回は特に企画無し。

仕事終了後にFrankfurt で待ち合わせ、Frankfurtが一望できる展望台のあるビル、マインタワーのバーに行きました。彼はあまり食に興味が無い為、また私も仕事で接待なんて事も無くなっている為、こうした場所は久し振りで、私の方が嬉しいプレゼントを貰った気がしてしまいました。珍しくカクテルなんて頼んでみましたが、やはり私は近頃はワイン派ですね。


ゆったりとした数時間を過ごした後、帰宅。

誕生日プレゼントはちょっとした
実用品と、Salsa のレッスン!
あまり長いコースだと最初から
挫けそうなので、週末の集中
コースをプレゼント。しかもこの
コースは英語で行われます。
はい、まるで自分へのプレゼントですね(笑)。

2010年3月5日金曜日

ワインテイスティング

通常ワイナリー巡りと言えば、葡萄畑が綺麗な夏の後半か秋ですが、
昨日はワインのテイスティングイベントが近くのワイナリーで行われたので、
行って来ました。
ここは700年の歴史のあるワイナリーで、この貯蔵室は数年前に立て直されたもの。入ると若いワインの香りがほんのりと。

嬉しい事に、ちゃんとオークの樽で熟成されています。







樽についている真空管のようなものは、温度が上がってワインが膨張した際に、樽が割れるのを防ぐ為のもの、との事。


『テイスティングイベント』との事なので、Riesling (リースリング) の Sekt (ゼクト、即ちSparkling Wine)、辛口の白、甘口の白、赤ワイン、の計4種類が振舞われました。
ドイツワインの生産は大半が白ワイン。Rieslingはこの地域の主な葡萄の種類です。

今回、面白い実験もありました。舌で感じる味覚は5種類で、周りの色によっても感じる味が変わるとの事。ライトを青と赤に変えて、その変化を感じてみましょう、という試みだったのですが、、、、

 

2010年3月2日火曜日

1日にして退学、、、

と書くと、いかにも悪い生徒と思われそうですが、、、
1時間1ユーロのIntegrationskurs。昨日から始まりました。

久し振りの学校にちょっと張り切って、気分は小学一年生。
授業の前に申し込み登録をせねばならなかったので、ちょっと早めに登校。すると未だ学校のドアは鍵がかかっていた。。。

Integrationskurs担当のFrau V.が不在の為、直接授業に案内される。
開始時刻の9時。生徒は、、、二人。ラッキー!と思ったら、単に皆さん遅刻しているだけ。登録人数はなんと、16人!ちょっと多すぎます。 ぱらぱらと生徒が集まりだして、結局初日の授業出席者は10人。

私以外に新入生(?)が2人いたので、皆簡単な自己紹介を。しかし、皆
『私の名前は○○です。××(国)から来ました』これで終了。。。『質問は?』 しーん。。。。 前の学校では、止めないと皆ぺらぺらぺらぺら、熱い議論に進化したり、だったのに。レベルは確かに一つか二つ下ではあるけど、驚く事に皆さん、ドイツ在住歴が長いのです。10年を越す人がちらほら。

レベルを落として受ける事にしたので(私のレベルのクラスは4月迄無い為)、多少こうなる事は予測していたが、、、

話せば、先生は文法を逐一訂正してくれるので、それはとても良いのですが、その話す機会が少ない。『ここはSprachschule (会話学校) だからみんなもっと沢山話さなきゃ!』と先生は言うのですが、私ぐらいしか発言しない。だからまた私が答えると、先生はちょっと困った顔をして、『あなたはちょっと黙っていて』視線を私にくれるのである。
そして、極めつけはこれ。
簡単な文章のプリントを渡され、分からない単語に線を引きながら黙読5分。
5分も必要ないんですが、とりあえず5分後。
『分からない単語を言ってください』
黒板びっしりと書かれてしまった。私が線を引いた単語はゼロ。
『何割位理解できましたか』
『100%』と答えた私。中には80%の人もいたけど、20%、30%という人まで。謙遜?いやいや。。。
次に、一人一人数行、『動詞を抜き出して言ってください』
みんな、これが、なんで出来ないの????
動詞と名詞や形容詞の区別、つくでしょう?????

ここで私のもう少し試してみようかな、という気はほぼ消滅。

そして今日。
早めに登校して、 Frau V. と相談。
FlexibleにOptionを対応してもらえるかと思ったら、そうでもなく、Integrationskurs は、一度履修登録すると、その登録した学期が終わるまで、他のクラス・学校には行けない、との事。(勿論Integrationskurs以外には行けますが)
その場でちょっと考えて、退学する事にしました。いやあ、早かった。。。

2週間後に始まるもう一つの学校があったので、そちらを覗いてみようかと思います。

という事で、また暫く自主学習です。

初収入!(?)

先日早々と記入した確定申告書。
当然の事ながら、記入しただけでは駄目で送付せねばなりません。すっかり忘れていました。再度データを読み込み、印刷。源泉徴収書を貼り付け、捺印、郵便局へ持ち込み、無事投函。アメリカでは『Certified Mail』で提出していたTax File、今回はドイツと日本の郵便局を信じて普通郵便で。無事に届きますように。

年度途中で退職している私には、還付金あり。
指定の銀行に振込まれるのは2-3ヶ月先かもしれませんが、これが今年の私の初収入!はいはい、これは今年の収入ではありません、わかってます。

本当は追徴金がある方がお得だという事は、分かっているのですが、戻ってくると何だか嬉しくなるのは人間の性?

2010年2月28日日曜日

雪山でハイキング

今年初の、そしてシーズン初の雪山へ!行き先はスイスです。
湖のほとりで優雅に(←だらだらと)日本食&イタリア料理を満喫しながら
数日を過ごした後なので、週末は何かActiveに過ごしたい。
という事で、Zürichから近い雪山へSnow Shoeing に行ってきました。
雪山 = Snowboard の私ですが、たまには皆さんの希望に合わせましょう、という事で、のんびりとお散歩です。

去年の今頃、Zermatでは靴で雪山をハイキングしましたが、今回は連日続いた10数度の気温のせいか、靴では到底歩けません。スキー場でSnow Shoesをレンタル。(25CHF ≒ 2000円也)
急に決めた事だったので、雪山仕様の服装は携帯していなかった私。
ジーンズにヒートテックの下着、フリース、スニーカー。舐めてるのかっ?!と言われそうな服装ですが、それでも何と、暑くて暑くて、、、下着1枚になって歩きましたが、タンクトップでも良いくらいでした。青空と太陽が眩しく、懐かしのCaliforniaの空を思い浮かべました。

 ジョギングやジムも楽しいけど、こうして自然の中にいるのは格別!
 
やっぱりスイスに住むのも悪くないかもしれません。

2010年2月26日金曜日

スイスに口座を持つ!

万一スイスで住む・働く時の為に、スイスで銀行を開設する事にしました。
色々な銀行があるのですが、パートナーの薦めにより、郵便局の銀行に。
スイスのどの都市にもあるし、お財布代わりの利用価値は大。

最寄の支店で番号札を取り、順番が来てカウンターへ。
一見郵便物しか扱わなそうな窓口ですが、口座を開きたい旨を告げると、モニターを我々も見えるように回転させて、手続きを開始。

ドイツのビザのページを見て、詳細を入力していきます。
その都度、何が書かれているか、どういう事かを丁寧に確認しながら進行。大変Friendlyで丁寧な窓口職員でした。

最後に日本の印鑑代わりとなる署名を用紙に記入、身分証明書のコピーをとって終了。後日指定の住所にカードやOn-Line取引で必要な暗証番号カード等々が送られてくるとの事。口座名義の姓は婚姻後の新しい姓に。ただパスポートはまだ旧姓のままになっていますが、『問題ないです。。。。調べた事無いですが、多分大丈夫です』との事で。念の為、パスポートのコピーとドイツのビザのコピー両方をとってもらいました。

口座には1フランも入っていないのですが、預金の無い私名義の口座
(注:ドイツの口座は共同名義)がこうして無事に開設!ちなみに、登録住所もドイツの住所でOKでした。近頃色々と変わってきたと言われはしますが、さすが天下のスイスの銀行(!?)、お金さえあれば居住地等々問わず、でしょうか?(あ、私はお金無いですね、ゼロバランスですから、、、)

スイス滞在許可への道のり ①

晴れてEU国ドイツの一般住民となった私。
次なる手続きは、スイス滞在許可証。

スイスは未だにEU非加盟国。
これからもそうあり続けるとは思うが、2年前には国民投票でシェンゲン加盟が可決されている、等、少しずつ変化が見えているスイス。
でも、まだスイスはEU国ではないのである。

イギリスで働いていた時に、欧州の同僚達から、『スイスに住む事は、ステイタスなのだ』という事を聞いた事がある。その意味は私には未だわからないのだが、スイスの山々・湖といった自然が、私がこよなく愛するものであるから、スイスに住みたいと思う人の気持ちはわからなくも無い。でも、みんなが住みたいスイスだから、そう簡単に住めるものでもないらしい。

さて、私の場合、スイスが要求する『博士並みの特別な知識・能力』を保持しているわけでもなんでもなく、配偶者がスイスで働いている、という理由での滞在許可申請。

ドイツは事前にメールで詳細を確認出来たが、こちらは直接赴いて下さいとの事で、市役所に到着。
先ずはスイスの労働許可を持つパートナーが、独身から既婚へのStatus変更をする。ドイツ語の婚姻証明を渡してコピーし、返却される。
そして次の質問。これが本番。
『妻は日本人でドイツの滞在許可証をもっているのだが、スイスに一緒に住むにはどんな手続きが必要か?』
すると、家族として引っ越す場合の必要書類が記入された半紙と申請書を渡され、全ての書類を持って、Zurichにある移民局へ行って申請して下さい、との事。Zurich はこのカントンの首都である。必要書類は全てスイスの滞在許可を持つ彼の書類で、私の書類では無い:
1) 婚姻証明(ドイツ語)
2) 住居証明と契約書
3) 過去3箇所の住居証明
4) 銀行口座残高証明
5) 身分証明書のコピー

比較的簡単なようである。が、2)について。スイスは住居が住むのに十分な広さがある事を証明しないと、滞在の許可が降りないらしい。彼のアパートは実は2人で住むにはとてもとてもとても狭い。一人当たりどれだけの広さ、という様なガイドラインがあるわけではないようだが、まあ、彼の住まいでは明らかに『一人用』となるでしょう。日本で東京のど真ん中で一人暮らしをしていた事のある私には問題の無い広さだけど、、、

という事で、今回のスイス訪問は、必要書類の確認・入手で終わってしまった。
スイスに住めるようになるのはいつの日か。。。

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スイス滞在許可への道のり その②
スイス滞在許可への道のり その③

2010年2月19日金曜日

語学学校 - Integrationskurse

配偶者ビザと一緒に頂いた、『Integrationskurse(ドイツで暮らしていく為の社会適応コース?)』の資格証明書を持って、1時間1ユーロのドイツ語学校に通うべく、学校探し。
連邦主義のドイツだが、このProgramは全国規模の政府Program、という事で、全国何処でもコースが受講できる。従い私は市内の学校を探す事に。

大都市、学校の選択も豊富です。
一通り、HPがある学校はその要綱をHPで一つ一つ確認、目ぼしいところ4-5校、メールを書く。夜中に書いたものの、翌朝8時過ぎには2校から既に返事が来ていた。早速メールでやりとりをしたが、両校とも、直接訪問して欲しいとの事で、約束を取り2校とも訪問。

1つ目は家から1.5kmと近い。メールの対応はとてもぶっきらぼうだったので、ちょっと心配して行ったが、話しているうちに、とても感じの良い方であるとの印象を受ける。
簡単なやり取り・質問の後で、30分のテストを受ける。選択肢と既述の両方で、60-70問あっただろうか?
ちなみに、簡単なやり取りも、口頭質疑応答のテストの一環だったらしく、ちゃんとスコアがつけられていた。
テストの結果を早速採点。『素晴らしいわ、素晴らしいわ』とつぶやきながら採点終了。
結構それでも間違いが多かったと思うんですが、6段階の『レベル6』。
『本当にあなた7月からドイツ語始めたの?』と2度聞かれた、という事は、
それなりに褒められた、という事なのでしょうか。
従って、Level 6 のコースを勧められる。
この、Integrationskursは全部で600時間のドイツ語講習と、45時間のドイツの歴史・文化等の授業で構成されていて、要は各レベル100時間ずつなんだそうです。という事は、Level 6 から始めると、100時間で授業が終わっちゃう、という事ですね。一方で、『Intensiv-Kurs(集中コース)』というのもある、と聞いていたので、訪ねると、これは大学入学を目指すような若い人たちのコースで、わずか460時間しかない。語学習得には460時間じゃ少なすぎる、とのお答えが。。。でも、Level 6 で始めちゃうと、どの道100時間しかないんですが、、、と思ったのは口に出さず。

『あ、もうひとつ簡単なテストがあるの』と言われて取り出したのは、写真を見て、ストーリーを説明する、というもの。苦手です、私。
案の定、ここでアドバイザーの方も、私の語学力がテストや簡単な口頭試問が示すよりも実は低いのでは、という事に気づいたと思われる。『日常使わない言葉やSituationだし、聞いて理解は出来るけど、単語を自分のものとして使いこなす練習が足りないのね』 と適切なコメントを頂く。
そこで、私さえ良ければ、Level 5 も受けてはどうかと提案。レベル的に物足りないかもしれないが、話す訓練と文法の復習にも悪くないと思うわ、と。

最後に、費用の事も、心配してくださり、『通常は1時間1ユーロなんだけど、払うのが大変だったら、収入と家賃等の差額によっては申請で無料に出来るかもしれないけど、申し込んでみる?』とまで。『1ヶ月大体100ユーロになるんだけど、大丈夫かしら』
驚きました。だって、某G-Institutは、1ヶ月40万円ですよ。それが1万4000円位なんですから、私には全然大丈夫ですっ!
一応丁寧に『1ヶ月100ユーロなら、私たちには大丈夫だと思います』と答えておきました。

なかなか感じの良いカウンセラーの方で、家からも近いし、ここにしてしまおうかな、とも思いましたが、2つ目の約束もあったので、そちらへも午後に足を運びました。

こちらの学校は家から約4.5kmでしょうか。メールの対応が一番親切だったところ。
二言目が上手く聞き取れず、『すみません』と聞くと、なんと英語に切り替えてきた。語学学校で、英語対応されたのは初めてでちょっと驚いたが、この学校では、ドイツ語の他に英語、フランス語、イタリア語、ロシア語等も教えているので、日常茶飯事なのかも。あえてドイツ語で答えを返し、再びドイツ語会話に戻る。

やはりここでもテストを受けると言われたが、今朝別の学校でテストを受けた事を話し、証明書を見せると、『ああ、きっとこれは同じテストだね、、、』
そして数秒後に、『。。。。えっ!!!レベル6???!!!。。。』と凄く驚いた反応をされた。
①口頭での受け応えから察するとレベル6から程遠いのに、、、
②Integrationskursを取りたい人が、いきなりレベル6?
このどちらかの反応だったのでしょう。(①だな、きっと)
ともかく、テストは受けなくて良い事になり、早速申し込みを、、となったので、まずは情報が欲しいと回答。
次のコースの開始日とレベル、時間帯等を教えてもらう。
使う教科書も聞いてみたところG-Institutの初級クラスで使った教科書のシリーズ。でも、『重要なのは使う教科書じゃなくて、いい先生がいる事だよ』とのコメント、こちらも納得です。

とりあえず、どちらの学校にするか考える為、その旨を伝えて申込書だけもらってきました。

2010年2月16日火曜日

Fassing、カーニバル

カーニバルと聞けば、Brazil、と思うのですが、実はカトリックの地域では結構大きなイベントになっています。ドイツはプロテスタントの国ではあるものの、Fassingと呼ばれるカーニバルは大きな盛り上がりを見せるのです。ドイツの三大カーニバルと言えば、ライン川沿い地域、南のミュンヘン、国境のバーゼルでしょうか。ライン川沿いにはケルン、ドュッセルドルフ、マインツと言った有名どころがあります。

さて、例年通り11月11日11時11分に始まったカーニバル、2月中旬に終了します。今年は大きなパレードが行われるRosensmontag (薔薇の月曜日)は15日。その前の週末は各地で色々なイベントがあった様です。

私が週末訪れていた小さな町でも、例外なく、Fassing のパレードが行われました。パレードを見に来る人達も、頑張って仮装しています。まるでHalloweenのようです。

2010年2月15日月曜日

ビザ(滞在許可証 - 配偶者ビザ)

現在(今朝までは)語学学校学生の私。
未だ期限が切れる迄半年はあるのだが、膳は急げ(?)で、配偶者ビザを取る事に。行き先は、住民登録がしてある市の移民局。

ドイツ大使館のHPに、『ドイツ人配偶者と共に長期滞在する場合』という項目でわかりやすい説明があるが、例に漏れず、先ず申請する移民局に事前に必要な書類等々の確認をし、Appointmentを取った。

当日の持ち物:
1) ドイツの婚姻証明書 (原本1通 → 当日Copyをとって返却)
2) 写真1枚
3) パスポート
4) ドイツ人配偶者の身分証明証

これらを提出して、申請書2つ記入。
1つは語学学校のVISAの申請と同様のもの。ただ、今回は目的の覧について『勉強の為』ではなく、『家族の理由で』にチェック。
2つ目は、婚姻について、婚姻が強制されたものではなく自らの意思によってであり、また現在離婚調停等を行っていない、等に署名するもの。

いくつかの例外がある様だが、EU非加盟国の人がドイツ人の配偶者としてビザを申請する場合、申請時に基礎的なドイツ語能力があることを証明しなくてはならない。社会への適応促進の観点から、との事だが、これは良い事だと思う。求められるレベルは、『A1』。私がドイツに来て最初に通った某語学学校では1ヶ月でこのレベルが終了、だから正に基礎の基礎。私は現在『B2』のクラスだが、B1の証明書を持っているわけではなく、手元にあったのはA2のコース修了書。

この証明書も用意して行ったが、申請書の『ドイツ語能力があるか』の項目に『はい』と答えたら、特に証明書を要求されるわけでも無く、ドイツ語の履修義務は無しと判定されたのである。まあ、確かに担当者の方とはドイツ語で受け応えをしていたので、ドイツ語が理解できる、と実践確認だったのかも。

今回のVISAに伴い私がとても興味を持っていたのは、上記語学の条件を提示するからには何らかのサポートがあってしかるべきとの考えの下(?)にOfferされている『Integration Course』。簡単に言えば語学学校に破格で通える、というもの。驚くべきはそのお値段。1レッスン1ユーロ!! 2年間有効だという。私の場合は『義務』ではなく『権利』という事で、行きたくなければ行かなくても良い、との事だけど、最初から結婚が理由でドイツに来てゼロからドイツ語を学ぶ人には、本当に格安の素晴らしい配慮だと言えるでしょう。

話がそれたが、滞在許可の申請の為、移民局に予約時間朝9時到着。
これまた約40分ほどで、特に問題も無くVISAがおりました。
Passportの有効期限も残っているので、規約どおり3年間の滞在許可。勿論仕事も出来ます。
3年後に更新する際には、無期限のVISAがおりるとの事。
いわゆる永住権。その後は更新の必要が無い、というのが驚き。
ドイツは運転免許証も、一度取得すると無期限だとか言いますよね。
ちなみに、語学学生ビザには、『無効』のスタンプが押されていました。

それから、費用なんですが、なんと無料でした!!!
『ドイツ市民の為にドイツに来る人』だからなんでしょうかね。

最後に『Good Luck』の様な事を言われて笑顔で送り出されました。
お役所はあまり良い評判を聞きませんが、前回も今回も、非常に親切で迅速な対応をして下さいました。

今日から私は語学学生ではなく、普通のドイツ住民になりました。
これから暫くの間、お世話になります!

2010年2月14日日曜日

市役所からの贈り物


市役所婚式を挙げた市のStandesamtから記念品を頂きました。
Sekt、即ちSparkling Wineです。

式が執り行なわれたお城の絵のラベルが可愛いボトル。
式の最後の方で、頂きました。


それからもうひとつ。何でしょう。

こちらはお料理の本。
勿論全部ドイツ語で、地元の自慢レシピ(?)が沢山掲載されています。
自分でレシピを追加して書き込めるようにもなっています。
これをゆくゆくは、結婚する娘に持たせるのでしょうか。
まだまだ先の話ですね。

2010年2月9日火曜日

冬の気温

ドイツの天候は、イギリスに匹敵する程変わりやすい。

夏は夏で、雨が降ったりやんだりで、私は久し振りに傘を持ち歩く、という事を覚えたものですが、冬は冬で、気温の変化に一喜一憂させられる。

1月の東京は暖かく、私の滞在時は最高17度位迄気温が上がった。
そこから帰ったドイツ、『ここ最近暖かい』そうだが、勿論氷点下。。。
そして先週は家の外の温度計も遂にマイナス10度を指した。
寒い!寒い!!
と思っていたら、その後数日は、一気に暖かくなり、連日プラス2-4度が続いた。おかげで雪は雨に。降り注ぐ雨で、すっかり積もった雪も融けてしまった。

そしてここ数日、再び気温は氷点下に。。。マイナス5度。
確かに外気が顔にピリッと来て、氷点下の温度を体感出来る。

たまーに顔を出す太陽と青空が、一瞬私を騙すのですが、やっぱり冬。
寒い毎日です。このところ。

2010年2月7日日曜日

確定申告 (日本)

暫くの間自主休暇を取得中の為、手続き関連で必要な事が無いか考えた。
『確定申告』
考えればサラリーマン生活○○年。サラリーマンの良くも悪くもあるところは、税金関連の面倒な手続きを会社がやってくれた事。アメリカでは会社勤めだろうが何だろうが、個人が毎年の確定申告(Tax File)を行うのだが、これまた業務関連での滞在という事で、CPA(公認会計士)が代行して全て行ってくれた為、私のやる事は質問状の記入と4月の締め切り前に郵便局に書類を出しに行く事のみ。

先日日本に行っていた際に、退職した会社から実家宛に届いていた『源泉徴収書』なるものを持ち帰って来ていたので、それらを片手に早速国税庁の『平成21年分確定申告特集』のHPへ。
進歩したもので、Internetで申告が出来るとある。海外在住者には嬉しいではないか。。。と思ったのもつかの間。住民票が日本に無いと、E-Tax Fileは出来ないらしい。結局印刷して郵送か、、、

簡単になったとは聞いていたが、いったいどうしてそういう計算になるのか、気がかりで結局国税庁のHPで税の仕組み等々をお勉強。
知っている人は知っているのだろうが、12月31日までに結婚していれば、配偶者控除で数万円の還付があったらしい。ふーん、、、今年は収入が無いので関係ないし。まあ、それが理由で急いで結婚する人もいないでしょうけど。

一応記入が終わったものの、提出は2月16日以降との事。早く出しすぎちゃいけないんですね。。。

2010年2月6日土曜日

結婚にかかる費用

日本人とドイツ人がドイツ方式にて結婚するにあたりかかる諸費用をまとめてみました。
日本人同士が日本で結婚する場合、婚姻届を記入して提出すれば、無料で結婚できますが、ドイツでは何かとお金がかかるようです。市役所の婚姻式(Standesamtlich Eheschließung)はドイツで法的に結婚するには必要なので、避けて通れぬ道です。私たちの場合、約350ユーロ+通信費等(約4万円)程かかりました。勿論、私が外国人なので、ドイツ人同士の婚姻よりも費用がかかっているのでしょうけど、これもドイツ人が結婚しないカップルが多い理由なのでしょうか?(← そんなわけないでしょうね)

日本での書類 (1350円)
1) 戸籍抄本 1通 450円
2) 戸籍謄本 2通 900円
3) 結婚具備証明書 1通 無料 (!)
4) Apostille 無料 (!!)
5) 婚姻届 無料 (!!!) ← ドイツの婚姻証明書2通必要なので、
                   実質無料ではないですね
隠れた費用で、ドイツから日本へ委任状を送ったり、外務省へ書類を送ったり受け取ったり、再び書類を日本からドイツへ送付したり、と日本側の費用では通信費が一番かかったかもしれません。

ドイツでの婚姻登録 (211ユーロ)
1) ドイツ人側の出生証明書 1通 10ユーロ (Geburtsurkunde)
2) 書類確認費用 60ユーロ
3) 婚姻登録送付費用 16ユーロ
4) その他諸経費 5ユーロ
5) 翻訳費用 120ユーロ

ドイツでの市役所婚式 (140ユーロ)
1) 婚姻証明書 4通 25ユーロ (2通はOptional)
2) 婚姻式費用 40ユーロ
3) 婚姻式会場使用費用 50ユーロ
4) 婚姻証明書の手帳 25ユーロ (Optional)
5) 複合姓への変更手続き 20ユーロ (Optional)

この後、私のパスポートに新しいドイツでの姓を併記してもらうのに戸籍謄本1通(450円)と費用(6ユーロ)がかかります。ドイツでの唯一の身分証明書なので、これは必須ですね。まあ、こちらはお安いものです。

2010年2月5日金曜日

H1N1予防接種

10月末に故郷(?)California に行った時に、Officeやお店に手の消毒用のジェルが設置されていたのを見て、とても驚いた。日本ならわかるが、ここCaliforniaまで?!
対してドイツ、全く平常と変わりません。

語学学校で、H1N1についてちょっと議論になった事がありましたが、
『普通のインフルエンザでの死亡者の方が断然多いし、新型を大騒ぎする必要が無い』と満場一致の意見。

私はおかげさまで生まれつきとても健康で、ドイツに来てから規則正しい生活と毎日の運動により益々健康に拍車がかかっているので、インフルエンザ等関係ないものと思っていた(し、今も思っている)。

『今週木曜日の夕方、開けておいてね』
『?』
『H1N1の予防接種に行くから』
『いってらっしゃーい』
『君もだよ』

えー、、、体に余計な菌を植え付けるのは嫌だったので、拒否していると、年末の日本への旅行は予防接種をした人としか行かない、とだだをこねられた。そう来たか、、、

結局、一緒に予防接種を受ける事に。ただし、私は新型のみ。彼は普通のインフルエンザと新型と2つ受ける事に。2つの予防接種を同時に打てないので、私たちのH1N1予防接種は1週間後にずれたのだけど、ワクチン不足が未だ日本やアメリカで叫ばれていた頃に、ドイツではこうも簡単に予防接種が出来てしまうとは。

しかも、当日。
名前を受付で名乗っただけで、身分証明書の確認も保険の確認も一切無かったのである。これには驚いた。ワクチンが十分ではないらしく、このClinicでは1日10人迄という事で予約は必要らしいが、誰でも無料で受けられてしまう、という事には変わりは無い。恐るべきドイツ(← 何が??)。

その後予防接種の後遺症も無ければ、インフルエンザにかかる形跡も無く、今日まで過ごしている私。
やっぱり健康優良児!

SBB

SBB、こちらスイスのJRの様なものです。DBのスイス版、ですね。
スイスは色々な事情がありよく行く国なのですが、スイスはEU圏でも無ければ通貨もCHF(スイスフラン)という事で、近いのにちょっぴり外国旅行気分を味わえます(?)。

DBへの評価は私の中では巷で言うほど高くは無いのですが、SBBはかなり100点満点に近い点数をあげたい。
とにかくスイス国内何処でもSBBを乗りこなしてたどり着く事が出来ます。かの有名なスキー場の数々も、電車で最寄の駅(スキー場まで徒歩圏内)迄たどり着けます。雪道の運転が大の苦手の私にはとても嬉しい電車網です。

去年はとても頻繁に行っていたので、スイスでも割引カードを購入しました。こちら、『Halbtaxkarte』(半額カード)で、スイス国内近距離線でも全て半額になる優れものです。(※ドイツのBahnCardは長距離線しか割引になりません)更に、気分によって1等に乗りたい時も、このカードは1等・2等関係なく適用できます。

年会費: 150CHF (1年間。2年、3年の割安あり)
VISAカードがついたものだと125CHF。

Internetでの申し込みも可能。
私は駅の窓口で写真を添えて申し込み。
会員証が出来るまではTemporary Cardがもらえて、これでその日から半額乗車可能。

こちらも年間単純計算で300CHF分乗らない人には元が取れないのですが、物価の高いスイス、結構すぐに元が取れます。
ちなみに、Halbtaxkarteを持っている人は、スイス発ドイツ行きの料金のドイツ側にBahnCard25と同様の特典が適用されます。スイスをベースにしてドイツに行く人は、迷わずこれでしょう!

今月もスイスに行こうと思いますが、先月で私のHalbtaxkarteは切れてしまいました。更新はこちら、自動ではありません。どうしようかなあ、今年は。。。

名前

婚姻後の姓をどうするか、は最後迄悩んだ問題であった。
日本では、日本人同士の婚姻の場合、夫婦別姓が法律上認められていない為、いずれかの姓を両者が名乗る事となる。しかし、片方が外国人の場合、何もしなければ夫婦別姓となるのである。

選択があるというのは、時には良い事だが、時には悩ましいものでもある。

ドイツの場合:
1) 夫婦別姓
2) どちらかの姓に合わせる
3) どちらかの姓を取り、一人が複合姓により旧姓を残す
注A: 子供は複合姓は持てない
注B: 複合姓を名乗れるのは夫婦の内一人のみ
注C: 子供は全員が同じ姓でなくても良い。『例えば男の子なら夫の姓、
    女の子なら妻の姓も可能です』とは市役所からのアドバイス。。。

日本の場合:
1) 夫婦別姓
2) どちらかの姓に合わせる
3) 1)と2)以外を希望する場合、家庭裁判所に行く
注A: 子供は日本人の親の姓と同じになる。
注B: 子供を別の姓で登録したい場合は、子供が戸籍筆頭者となる新しい戸籍を作る事となる。

私の希望:
1) 家族全員が同じ姓がいい (← 含・未だいない子供)
2) 日本の姓を残したい
=> 即ち、夫婦二人とも複合性にする。が、これはドイツでは不可。

彼の希望:
1) 自分の姓を残したい (← 会社名に自分の姓をつけてしまった)
2) 子供には私の日本の姓をつけたい
3) 子供の姓は日本とドイツで同じにしたい
4) 第三国で滞在許可を取ったりする場合に面倒にならない様にしたい。
=> 即ち、、、あまり適合する選択が無い。
あえて言えば彼が複合姓を取り、私は旧姓、子供も私の姓。

色々議論し、考えた末、私が複合姓を取る事に決めました。
日本人と結婚すれば、夫の姓に変えるのが普通なんだから、旧姓に拘らず変えればいいのに、との意見もあったが、欲張りな私は両方持っておきたいんですね、出来るものなら。

片付いたかに見えた問題、未だありました。どちらの名前を先にするの?
つまり、私の姓-彼の姓、とするか、彼の姓-私の姓、とするか。決断は私に委ねられ、悩んだ結果、『彼の姓-私の姓』とする事にしました。
日本での名前は、旧姓を残し、将来的に必要に応じて、複合姓申請なりの手続きを考えようと思います。

名前の変更は、Standesamtの結婚式の際に同時に行う事にし、式の数日前に市役所へ連絡。

結婚式の2日前。式の後のお食事会の席札を準備しながら、夫婦で姓が異なるのが私達だけという事に気づいた私。えっ?ドイツ人も何気に夫の姓に変えているのね。。。

式当日。複合性にしたものの、皆から『Frau XXXX』と彼の姓で呼ばれる私。何だ、あれだけ悩んだのに、結局そう呼ばれちゃうんだねえ。

2010年2月4日木曜日

婚姻届 (日本側)

外国式での婚姻が成立した事を、日本にも届けねばならない。
私は日本人なのだ。
婚姻成立日から3ヶ月以内と猶予があるが、こういうのは一気に片付けたい。

前日ドイツ語の婚姻証明書と夫となった彼のパスポートを日本語に訳した。
ドイツの役所は指定の翻訳者に訳してもらわねばならなかったが、
日本はこのあたりは適当である。私が訳す事で問題なし。

以下の書類を揃えて、初めての在ドイツ日本総領事館へ。
天気が良かったので、徒歩にて。

領事館提出用(戻ってきません)
1. ドイツの役所発行の婚姻証明書 2通
  (← 領事館のHPで見るとこれは1通で良いかに見えたので注意)
2. 上記和訳文 2通 (← 翻訳者の名前と日付を記入)
3. 戸籍謄本 2通 (← 私の場合、戸籍住所に変更が無い為2通)
4. 配偶者のパスポートの和訳文 2通 (← 翻訳者の名前と日付を記入)

領事館提示用:
5. 二人分のパスポート

その場で記載するもの:
6. 婚姻届 2通 (← 1通を見本を見ながら記載。確認の後、2通目記載)

その他持ち物:
印鑑があると便利

和訳文も婚姻届も、全ての記載は日本語で、が基本。市の名前も住所も全てカタカナ表記をする。
興味深かったのは:
1) 外国人の生年月日は西暦で記入するが、日本人のは年号で記入
2) 記入項目に『同居を始めた日』がある。『結婚前の同居は決して許されない』という価値観の元育てられた私には驚き。(ちなみにこれも年号で記入)
3) ドイツでの『世帯主』を記入。ドイツにも『世帯主』の観念があるのか?

教えてもらうとおりに準備して記入すれば全くをもって問題は無いのだが、
私の失敗を参考までに:
- 和訳文の市の名前の後には、必ず○○市、という様に、『市』を記入せねば
 ならない。(← 私はその場で手書き付け足ししました)
- 外国人側の両親の氏名を記載する際も、日本人側同様、二人が婚姻関係
 にある場合は、妻の名字は書かない事、と訂正される。
 (← 見本には、両方『ミュラー ○○』となっていたのに。領事館の方曰く、
   これは離婚してしまったケースを書いているのだとか。。。
   え、、、ちょっとそれは、、、説明不足ではないでしょうか。。。)

これらを領事館から日本の役所に送付するとの事で、日本で新たに戸籍が出来るには約1ヶ月との事。意外と時間がかかるものですね。

日本では旧姓を残す事にしたので、パスポートはそのままとなる。
領事館の方が、『ご希望されればドイツの複合性を括弧書きに出来ます』と親切に教えてくれた。が、どうも私のパスポート、『追記』のページが入国・
出国スタンプで埋まっているので、係りの方も、一瞬無言になっていました。

パスポートを返してもらう時に、『はい、こちらご本人と旦那様のパスポート、お返しします』
『旦那様』の響きが不思議でした。

2010年2月3日水曜日

婚姻届 (ドイツ側)

結婚する事になったものの、『いつ』『どのように』は未定のまま、私は2週間半の休暇に出てしまう。
従って、準備らしい準備が始まったのは、ドイツ帰国後の11月中旬から。

ドイツでの婚姻に必要な書類は、各HP等で簡単に調べる事が出来るが、
ドイツ人と日本人がドイツ式で結婚する場合、我々の役所の場合

日本人側:
1. 婚姻具備証明書 (Ehefähigkeitszeugniss ← 戸籍がある役所の戸籍課で発行してもらえる)
2. 戸籍抄本(又は謄本) (Geburtsurkunde)
3. パスポート (Reisepass)

ドイツ人側:
4. 出生証明書 (Geburtseintrag)
5. 身分証明書 (Personalausweis)


ちなみに、私たちは住民登録がしてある市役所に行ったので、住民票の様なもの(Meldebescheinigung)は提示せずしてOK。

手順としては:
1) 1.と2. を取り寄せる (← 私は実家の両親に依頼)
2) 1.と2. を外務省に送り、アポスティーユ(Apostille)を受ける
(← これまた両親に依頼。外務省へは郵送にて)
3) 1.と2. を、ドイツの役所の指定翻訳業者に翻訳依頼 (← ドイツ側で)
4) 全ての書類を持って、市役所の戸籍課(Standesamt)へ
5) 書類を確認、婚姻後の名前等について確認
(← 私たちは姓は後日決めるという事で、旧姓をとりあえず記載)
6) 市役所婚式の日取りの予約

通信手段が発達している中、委任状にしても依頼書にしても『直筆サインのされたオリジナル』が必要という事で、既にドイツにいる私には真に時間のかかる手続きだった。
面倒すぎて1.2.取得の為だけに日本に行ってしまおうと思ったくらいである。
期間にして、1)と2)にドイツから、ドイツへの郵送期間も含め4週間。
3)に1週間弱。 4)-6)1日。
最短で6週間程で婚姻できそうである。
これを日本から手続きをすれば、飛行機での移動時間も含め、1)と2)に2日、3)に3日、4)-6)1日で、最短1週間で婚姻手続きが終了すると思われる
(↑ 勝手な推測)。

6) に関しては、私たちは登録を済ませた市とは別の市で結婚式をする事に決めていた為、登録役所からその希望する役所に書類が送付された。
また、結婚式をする役所に別途打ち合わせに行かねばならない、という事で上記にプラスして数日を要した。

ちなみに、我々の場合、上記手続きを開始する前に大きな手続きが必要だったので、更に時間がかかったのであるが、その手続きとは、、、

結婚への道のり

私にはどうしても心残りな事があった。
キャリアを捨て(一時的に、、、)、半ば『日本を去る』つもりでドイツに来てしまった事は全く後悔していない。でも、そんな突然の行動を両親はどう思っていたのだろう。いい歳にもなったのだし自分の事は自分で決めればいい、ときっと両親も頭ではそう理解していたのだと思う。仕事を辞めた事、ドイツに行く事、について、彼らは私に何も言わなかった。

私が仕事を辞めたのも、ドイツへ行く事にしたのも、結婚が理由では無かった。目的はあくまでドイツ語を身につける事。
でもそれは色々な意味で、将来の為であり、その将来の設計図にパートナーである彼の事が無かったわけではない。まあ、本音を言ってしまえば、彼の事が無ければ、ドイツにドイツ語を学びに来ようとは思わなかっただろう。

そんな語学学校の学生の私が、ドイツで結婚する事になった。
両親の心境はどんなものなのだろう。それがとても気がかりだったのです。
私がドイツに発った時、両親は何も言わなかったが、いつかこうなる事はわかって送り出した筈。
そうはわかっていても、はるか遠くから、『結婚します』 『ついては入籍に必要な書類を入手して送って下さい』では、あまりにも両親に申し訳ない気がしたのである。私は田舎で育った事もあり、両親は伝統だとか風習を重んじる。私を大切に育てながら、いつか私がお嫁に行く日を考えては、きっと相手からの結婚の承諾を求める挨拶があって、両家の顔合わせがあって、結納があって、、、結婚式の前日には『これまでお世話になりました』の挨拶があって、、、と考えていたと思う。

そんな両親の思いには、何らかの形でこたえたい。
かといって、日本的に結納だなんだのプロセスをこれから踏むのも、何だか不自然な気がした。

そこで、私達は、両親へ彼から手紙を書くことにした。
手紙の内容は、彼に任せる事にした。私の両親だから、どう書けば両親が喜ぶ・納得するだろう、という事は想像できるが、たとえ出来上がった手紙がそれと離れていても、彼の言葉で彼の気持ちを書いて欲しい。
英語で出来上がった手紙は、実を言うと期待したよりも短くあっさりとしたもので、心の中では『え、これだけ。。。』と思ったのは、今でも彼には内緒。
これを私が日本語訳したのだが、彼はそれを手書きで書きたいと言う。
日本語など書いた事も無い彼が、私の書いた日本語をお手本に、手書きで日本語の手紙を書いた。小さな2枚の便箋に一生懸命書き写す姿を見て、私はとても嬉しかった。かれこれ2晩に渡り、5時間かけて書いた日本語の手紙。途中文字が抜けていたり、ちょっと可愛い手紙になったが、早速これを日本へ送った。

手紙が届いた事を知らせるメールが両親から届いたのは約1週間後。

勿論、直接会って挨拶するに越した事は無い。
でも、私たちの精一杯の気持ちは無事に伝わったようです。
これで安心して、結婚に向けて準備出来ます。

2010年2月2日火曜日

二人だけの結婚式が、、、

ドイツ人らしく彼の『市役所婚式』の理解が『単なる紙のサイン』だった事は既述したが、その考えが私の言葉で揺らいできたと思われる。

『一度結婚式をするのに、また結婚式をするのもねえ、、、(← 教会結婚式)』

これを聞いて、『何?もしかして市役所婚式だけになってしまう?!』と思ったのだろう。
彼は元々結婚式にはこだわっていなかったし、私のやりたいようにすれば良い、と言ってくれていた。が、問題はそこである。
私には『結婚式への希望が無い!』かったのである。

流石に二人だけでサインをして終わり、は彼もちょっと淋しいと感じたのだろう。
両親を呼び、兄弟を呼ぶ、と人数が追加された。
更に、市役所婚式でよくピアノの伴奏をしているミュージシャンの友人から聞きつけた、『お城での結婚式が出来る市役所』に興味を持ったと思われる。
もしも教会式をやらないとなると、今回ので少し思い出の出来るものにしたい、と流石の彼もそう思ったらしい。
では、、、と、友人も呼ぶ事に。しかし、しかしである。時は12月半ば-後半。2月1日の結婚式に来てくださいと言ってすぐ来れる人は、私の様な人ぐらいである(=> Halloween Partyの為にアメリカに週末だけ飛んで行って来るのが厭わない人)。
あまり大きな式を望んでいなかった彼。ごくごく親しい友人に声をかけた。

残念ながら最後の最後迄協議したが、私の両親の出席は叶わなかった。今でも申し訳なく思っている。
友人についてはそう多くに声をかけるわけにはいかないし、かけてもやっぱり急すぎた様で。。。そうか、やっぱりドイツは遠かったんだ、と今更の様に悟る私であった。
でも、嬉しい事に、ドイツに駐在している元同僚(先輩)が奥様と共に出席して下さるという知らせが。結果的に彼は前日まで日本出張になってしまい、日本から遥々、奥様は南ドイツから電車ファーストクラスで、それぞれ駆けつけて下さったのです。

二人だけの結婚式が、少し賑やかな式になりました。

お客様を呼ぶと決めた以上は、、、さすがに何か準備しなくてはなりません。この時点で我々に残された時間は1ヶ月と1週間。

婚姻の日取り決め

市役所で結婚の登録を済ませると、ではいつ結婚しますか?となる。

場所によっては、2-3週間役所にNoticeを張って、異議を唱えるものが無い場合に晴れて結婚式へ進める、というところもあるようだが、我々は『明日以降いつでも』。

一日も早く結婚式をしたい彼。12月18日(金)を希望。

ちなみに、彼の中では、結婚式についてはこう解釈されていた:
- ドイツでのStandesamtliche Hochzeit (市役所婚式)→ 二人だけで
  出来るだけ早くサイン。サインするだけの日。
- Kirschliche Hochzeit (教会結婚式) → 家族友人と数ヵ月後に。
  この日が結婚記念日。

ドイツ人の多くが、この公式を頭に持っているらしい。
そうは言われたものの、私にとっては公式に結婚となる日が結婚記念日であって、何か思い入れのある日にちにしたい、と希望した。しかも、『ペーパーにサインするだけだから』と言われれば言われるほど、逆に、『それだけじゃないでしょう!!』とムキになってしまう。しかし、我々に記念日なるものは特になさそうであった。(実はあったのだが、週末だったり我々不在だったりでWorkせず。市役所婚式は平日限定なのだ)
そこで、私が最後に持ち出したのは

『大安吉日』

笑う無かれ、結構真剣だった私。
2009年は12月22日が大安だった。この日にしよう!

しかし、、、日が近づくにつれ、一大イベントChristmasの準備や、その後すぐにやってくる日本旅行の準備で、彼もちょっと忙しくなって来たと見える。
『一日も早く!!』と言っていた彼からギブアップ宣言。
『やっぱり、日本から戻ってきて落ち着いてしたらどうかと思うんだけど』
大賛成でございます。
早速、彼と私の間で有名になった、『Lucky Day Calendar』を参照。日本から帰国して最初の大安は、2月1日。
という事で、2月1日に決定。
『でも、2010年02月01日って語呂がいいから(←?)もうこの日は駄目かも』
という事で、1月29日(金)をバックアッププランに。ちなみに29日は友引。結婚式には悪くない日である。

結婚式を希望する市役所に連絡すると、2月1日、全く大丈夫との事。

こうして私たちは、晴れて2010年2月1日月曜日に結婚する事になったのである。

2010年1月10日日曜日

DB - BahnCard

通称DB、Deutsche Bahn、即ち日本で言うJRの様なものです。

ドイツはビールやソーセージで有名ですが、電車もドイツが誇るものの一つだそうです。私の経験上、それほど電車が優れている、という気はしないのですが、スイス程では無くても、一応ドイツ国内、DBを駆使して大抵のところへは旅が出来る、という点では優れたものかもしれません。

ドイツで車を運転しない私はDBの愛用者です。
車社会、ドイツで、車を持っていない・運転しない、という事に、一部のドイツ人・日本人達は驚きを見せますが、ドイツの車社会については、一方で環境にうるさいドイツと相反している気がして、私の腑に落ちない点でもあります。
話はそれましたが、遠い遠い昔に、German Rail Passを使って、ドイツ国内の一人旅をした事がありますが、現在の利用は週末等の国内旅行・移動に利用。従い、購入するTicketは片道、又は往復Ticketです。

DBの長距離線を頻繁に利用する場合、Bahn Card (割引カード)があるとお得。どれも有効期限は1年。ドイツ国内1年間乗り放題のBahn100カード、50%割引のBahn50カード、25%割引のBahn25カード。
申し込みはDBのHP、又は窓口で。私の最初のBahn Cardは、Bahn25、数年前のChristmas Presentの一つとして頂いたので、実際の申し込みは自力でしていません。
去年は更新の連絡と新しいカードと、振込用紙が送られてきました。メンバーシップは連絡をしない限り継続するものとみなされる様です。

BahnCard25 年会費57.00ユーロ(2等)
※ドイツ、若者を支持します。19歳迄だと年会費10ユーロ!

彼はもっと頻繁にDBを利用するので、Bahn50を持っていますが、こちら年会費230ユーロ(2等)。
更に知人でBahn100を持っている人を発見しました。会員証の色も黒で、いかにも力のあるカードに見えるのですが、これで元を取るには、相当DBに乗らねばなりません。年会費、なんと3,800ユーロ(2等)!

これで、かの有名なICE等が比較的安く乗れるのですが、早め早めに予約をすると、カード無しでも非常に安い料金でTicketが買える事もあるので、25%割引を得とするか否かは、微妙なところですね。

日本からの送金

これまたアメリカ時代なのですが、現地で十分なお給料が頂けていたので、日本からアメリカの口座へ送金する必要は全く無く、大きな買物をした際には、最低半期に1度はあった日本出張の際に、米ドルに換金し、アメリカに現金又はT/C(トラベラーズチェック)を手持ちしたものでした。理由?海外送金には手数料がとてもかかるからです!

ドイツも同じ手を使おうと思っていたが、ここでも登場、慎重派の彼。①現金持込は危ない!②T/Cの換金には手数料がかかる。①は理解出来ますが、②。えーっ???ドイツでT/Cの換金は手数料がかかるんですか???
半信半疑で色々調べたが、やはりかかるらしい。一部の銀行やAMEXのOffice等で手数料なしの換金がある、との情報もあったけど、確実な情報が無いので、日本から電子送金をする事に(泣く泣く)決めました。

私が利用しているのはCitibank。ポイントは:
1)Onlineでの送金指示が可能 (今はどこでもそうかもしれないが)
2)手数料が安い
  a. Online送金の場合、2000円/件 (3500円)
  b. 電話での送金の場合、2500円/件 (4000円)
 
注1.上記料金は、月間平均総取引残高がある程度無いと、( )内の金額になるので、要注意。
注2.更に Citigold に加入すると、これらの手数料は全無料!
注3.Online送金可能、とあるが、住所を国内住所にしておく必要有り。海外住所にしてしまうと、Onlineでの送金指示が不可となる。電話は可能。
注4.事前に送金先を登録しておく必要あり。1週間弱で登録可能。

月間平均総取引残高が低い人でも、新規口座開設の最初の月は手数料が割引になるので、1度だけ大金を送る人にもこの手は使えると思います。

余談ですが、大抵送金した後に、為替が不利に変動するので、いつも悔しい思いをしています。私が送金した時は138円だったのに、今日は125円になっています。。。